◆他人事(ひとごと)

 JR福知山線の尼崎における凄惨な事故について、コラムがある。「事故を他人事だと考えてはならない」。大新聞が、そう的確に警告する。
 その新聞が、社説で徹底的に、JR西日本を糾弾していた。
 そこには、自らを省みる視点は、ついぞ見られなかった。
 もちろん、直接的な原因は、JR西日本に責められるところがあるかもしれない。だが、その新聞社に、そして私たち一般利用者に、何の責任もない、そんな姿勢でいいのだろうか。JRが勝手にダイヤ第一主義、スピード主義を求めたのだろうか。
 安全投資を十分するためには、運賃は値上げせねばなるまい。だが、運賃値上げは世間も新聞社は非難する。また、利用者の要望によって、スピードアップが求められたのではないか。そうした企業努力をしろと、新聞社は論評するあるいは圧力を加えることが、あったのではないか。
 事故を他人事だと考えているのは、新聞社でもあるし、私たちでもある。あたかも、事故の加害者と自分とはつねに正反対の立場にいるかのように自ら見なしながら。
 これは、何か事件が起こるとき、しばしば私が感じることである。私も、事件を起こした者の側に与していたのだ、と。
 4月29日の産経抄は「むろん、安全運転は鉄道会社の絶対的な義務だ。ただ、この悲惨な事故は、まぎれもなく日本社会の出来事である。それを直視し悲しみと寄り添っていきたい。」と結んだ。直前でも、私たち皆が無関係ではないことが記されている。これは、事故現場付近を歩いての思いである。他人事で済まそうとしない姿勢が、ここにある。
つぶやきの カ・ケ・ラ


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