◆宗教に対する偏見

 イスラム教やキリスト教が一神教であるゆえに、好戦的で、非寛容だという説をさらに称えている人々がいる。イラクにおける日本人殺害の報道に関しても、そういう声が一部の新聞などでまた繰り返されている。
 日本において国粋主義を煽るのには都合がよいだろうが、どうにも気づいていないようだ。そうやって、宗教や人種、あるいは地理的条件についてまでも、偏見を固め、差別意識をもっているということに。
 外国人を安易に殺害するグループのやり方に、イラク国民も、「イスラムの人間のやることではない」と口を合わせて言っている。そうなのだ。それが普通の見方なのだ。宗教が犯罪をさせているのではないに決まっているではないか。たとえば燔祭などの規定をもつ教義があるゆえに、残酷なことが平気でできるという、偏見によって、好戦的だとか非寛容だとか言っているだけではないか。
 そうした人は、ハロウィンについて「万物に宿るという日本の神」と比較して喜んだりしている。キリスト教も日本のお盆と同じようなことをする、などと言って、恰も日本の方が本来で頑固なキリスト教も日本を見習っているみたいだ、というふうに読ませようとしている。笑わせる。ハロウィンを行事として指導する教会など、どこにもない。無知からくる偏見にほかならない。
 もしも、そうした偏見がまかり通るとするならば、逆に日本人も――つまり、あなたも――こういうレッテルを貼られるかもしれない。「日本人は自分たちこそ優秀な民族だと思い込んでおり、アジア人を見下し、天皇とか国とかのためなら、どんな残虐なことでも平気でやることができる人種である」などと。
 私は、日本という国が極めて平和で秩序もあり、教育的にもいろいろな面でも優れた国だというふうに十分感じている。そのための多くの人の努力や苦労をもちろん悪く言うつもりはまったくない。その意味で、たしかに国を愛している。
 しかし、それがゆえに、国中を一つの考えで染め上げようと、異なる考えをもつことを許さないというふうに考えたり、画一的にさせようと強制をもって臨む権力や暴力があったりすることに対しては、はっきりと批判しなければならないと思う者である。
つぶやきの カ・ケ・ラ


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