◆五輪の愛国心に健全な警戒を

 アテネ五輪の開会式を見た。ある国が、日本の扇子を掲げて入場していた。日本の伝統は、ヨーロッパの美術界で絶賛され、もてはやされた歴史があった。
 国威を高めたいグループや新聞社が、好んで使う「日本の伝統」という言葉。耳には聞こえよいが、それが何を指して何を意味しており、何を目指しているのかということとなると、にわかには賛成し難い。私は伝統は素晴らしいと考える。だが、その「言葉」に安易に同調すると、その「言葉」を、私たちが普通想定するのとは別の意味で、別の目的のために用いるグループや新聞社がある。私たちは、ただそれを警戒しているに過ぎない。何も、そのグループや新聞社が攻撃するように、私たちは伝統を破壊しようと考えているのでもなければ、無秩序を謀ろうとしているわけでもないのだ。
 ジェンダーフリーという言葉を使わないように、と政府は指導し、性差を強調することこそ当然の理であるのが伝統だと論ずる8月14日付の産経新聞「主張」も、相変わらずの自説こそ正しいの一点張りで、相手の極端な面だけを拾い愚弄するような論調を掲げている(わざわざ社会党まで持ち出してこきおろしていることも明瞭である)。同じく「産経抄」では、戦争協力者で何が悪い、と言いたいがために、戦争を肯定する短歌を並べて、日本語はなんと豊かだと賛美している。これら二つの論評は、無関係ではない。同じ流れの上にあるからこそ、同じ新聞社が度々同じ趣旨の論評を続けているのである。
「靖国の思想とは英霊に感謝し、世界の平和を祈る心の具体的な表れである。陛下がまず一人の日本人としてご参拝なされば、日本人全体の意識や思考に大きな影響を与える。日本のメディアや外国の論評も鎮静する」と13日付産経抄が書いている。その通りに天皇が靖国神社を参拝したら、アジア諸国や日本の良心ある人々は「鎮静」(この言葉も、要するに靖国に反対する者は反乱し興奮した異常な病者だと侮蔑している。もし「沈静」なら通常の意味にとれたが、筆者の思想はそれを選ぶことはできなかった。このコラムニストは、この手の用語の使い方が微妙で巧みである。ちょっと見ただけでは、バカにされていることに気づきにくいのであるが、実は激しく糾弾している言葉をさりげなく使うのが巧い)すると、あなたは思えるだろうか。
 日の丸を掲げたいという選手の意気込みを、否定するつもりはない。ただ、そこから戦争肯定や男子の戦死の美化を国民に植え付けたいグループや新聞社があることに、私たちは十分気づいて、オリンピックを観戦しなければ、危ないと思う。終戦のこの時期、愛国という美名によって国粋主義を貫き、犠牲だけを強いる国家を建設しようというグループや新聞社が、せっせと気を吐くことが多い。「主張」が11日付でさりげなく強調している「健全な愛国心」という言葉の背景に何があるのかを、見ぬかなければならない。
つぶやきの カ・ケ・ラ


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