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◆ボールの投げ方が変 公園で、親子がキャッチボールをしている。和やかな風景だ。 子どものほうはもう大人くらいの体の大きさだった。立派な道具を揃えて、父親がえらく熱心だった。が、子どものほうが、言葉は悪いが、えらく下手であった。私が人様のことを上手いとか下手だとか言うのもおこがましいが、いわゆる「手投げ」とでも言うべきか、ボールを投げるフォームからして、全然なっていないのだ。 昔よく、小学校低学年くらいの女子が、学校でソフトボール投げを命じられて投げるとき、それまでそんな投げることは殆どやったことがない子がいて、奇妙な投げ方になることがあった。そんなふうなのだ。 小学生の男の子も同じように、父親とキャッチボールをしていた。こちらも、投げ方がおかしい。 昔はよかった式の物の言い方はしたくないとよく思っているが、私たちの世代では、小学生の男の子の間では、ボール投げというのは必須アイテムのようなもので、これが下手だとやけに目立ち、恥ずかしい思いをするものだった。 もちろん、多少の上手い下手はある。だが、誰もがそれなりのキャッチボールのスタイルというものをもっていた。つまり、野球選手のような投げ方そのものは形としてもっていた。 どうやら、私が近年見かける例は、特別なものではないらしい。小学校で測定した資料によると、私たちの頃と比べて、特に投擲能力が極端に落ちているという。 思うに、全員が劣っているのではない。投げ方自体がまったくと言っていいほどなっていない子が増えたために、平均をひどく下げているのではないか。 野球人気云々で語る人もいるだろうが、人気とは無関係に、投げ合うことを「やっていない」のは事実なのだろう。 暴投をして「ごめん」と言い、「もう!」などと怒りながらでも、責任のない方が拾いに走る。ちゃんと相手の胸元に投げなきゃという意識で、投げ、そして受ける。 私たちの社会が、言葉や言論のキャッチボールさえできなくなってきていることを暗示しているとすれば、事は小さくはない。 |