◆漢字の「遊」 お昼のワイドスクランブルという番組は、比較的穏やかでほぼ安心して見ていられる番組の一つなのだが、そこで間違った言葉の理解があった。 両院議員が公費で海外視察に行くその費用が5億円を超えるという新聞記事にコメントするものだった。 「それが視察なのか外遊なのか、はっきりさせないといけないでしょうね」 この言葉に皆納得している素振りをしていたが、それはおかしい。この場合は、話の展開上、視察というのは海外視察のことであるという前提があった。そのため、「視察」と「外遊」は同義語である。選択できる関係ではない。 前後の話の様子からして、誤解の内容はこうだ。「外遊」の「遊」の意味を「あそぶ」と理解しているようなのだ。「外国で遊ぶこと」のように捉えるならば、あの対照は可能である。しかし、「外遊」はもちろん遊ぶ意味ではない。 「遊」の漢字は、旗竿を持つ人の形を表す部分を含み、その旗には神霊が宿るとされることから、霊が自由に行動することを意味する。それを「あそぶ」と呼んだ。人が楽しむ意味に用いるのは、後のことである。 自由に動く意味から、「遊星」という表現があった。かつて京大が用いた言葉で、東大が「惑星」という語を使うのに対して、天空上を不規則に動き回る星を「遊星」と称したのである。 また「遊軍」という言葉もある。遊んでいる軍隊のことではない。野球でいえば代打の切り札のようなもので、いつでも出動できるように立場をフリーにしておいて待機する軍のことである。野球なら「遊撃手」も塁の責任がないことから、同様の意味で使われる言葉である。 首相の「遊説」はなにも遊んでいるわけではない。 そういうわけで、「外遊」は外国に旅行に行くことだが、使う際には、「視察や研究」が目的であるのが一般的である。 電波はこういう誤解を流しっぱなしにする。言葉の乱れを作っている責任は、最も広める力のあるこうした機関にあることを、多分に現場の人は感じていない。そうして、「さわり」だの「檄を飛ばす」だのの誤った理解が七割もある、などと大きく報道する。 |