◆JRにとっての「お客様」 「当駅では、喫煙コーナーを覗いて、禁煙をお願いしております。お客様にはご迷惑をおかけしますが、喫煙は、喫煙コーナーにてお願い致します」 JRの駅でのアナウンス。ちょっと聞くと、心遣いをしているように、錯覚しそうである。 しかし、何を頭に置いているか、こんなに分かりやすいアナウンスというのも珍しい。 このアナウンスは、誰に気を遣っているのだろうか。もちろん、喫煙者に対してである。「ご迷惑をおかけ」することは、喫煙者に禁煙を申し渡すこと、なのである。 非喫煙者にとっては、ご迷惑どころか、大歓迎である。尤も、その喫煙コーナーというのが、ホームの端ではなく、階段のそばのように誰もが通らざるをえないところにあるなど、あくまでも喫煙者様々のような配慮がしてある駅もあり、たとえホームの端であっても、風向きによっては、ホーム全体を煙が包むことがある点では、喫煙コーナーがあること自体、許せないことがある。とすれば、喫煙コーナーを設けること自体が、迷惑であるという意味になり、その限り、アナウンスは正しいことになる。しかし、文脈からすれば、禁煙ゆえにご迷惑、なのであって、喫煙コーナーゆえにご迷惑、ではない。 わざわざ喫煙コーナーまで行って吸わなければならないのは肩身が狭いものだ。紫煙くゆらすことがこんなに居心地の悪い時代もない。喫煙コーナーくらい堂々と吸わせてくれよ――というのが喫煙者の甘え。自分たちこそ被害者だと信じてやまない、歪んだ心である。 煙を吸っただけで喘息発作が起こり、一ヶ月間の安静を強いられる子どもは、少なからぬ割合で存在する。吸っている者は、そんなことは思いもよらないし、「自分だけじゃない」と凄むのが必定であるから、処置なしである。 JRのアナウンスの中の「お客様」という言葉が指す乗客の中には、弱者は入らない。ベンチにどっかと腰を下ろしてタバコをふかし、座りたくても煙を吸えば苦しむ人々をベンチに座らせないようにしている、そのような喫煙者こそが、JRにとっての「お客様」なのである。煙の暴力にあえぐ子どもたちをはじめとする人々は、JRに乗らなければ家に帰れないがゆえに、苦しみに耐えながら、お金を払って乗っている。JRは、喫煙者を宝物としながら、弱者からも自らの給料分のお金を巻き上げている。 |