◆スポーツを楽しむ自由がなくなる 朝日新聞だが、2006年3月23日、《五輪代表「2度だめなら3度目は出すな」 森喜朗氏》ときつい見出しがあった。朝日だからこうまで書くのかなとも思ったが、当の発言内容自体、やはりきついものだと感じた。 森喜朗って、日本オリンピック委員会の理事であり、日本体育協会会長だったんだ。そりゃ、神国にメダルをもたらさない選手はカスにしか見えないのだろう。ひとたび勝利を上げればよってたかって、祝福するという理由をつけつつ、選手を妨害するのは誰なのか。どうして荒川静香選手は、次の大会に出られなかったのか。祝ってやるからつきあえと引きずり回すことなら喜べるというふうな体育協会会長が、はたしてスポーツを応援していることになるのかどうか。 メダルが取れなかった選手が「楽しめた」なんて言ったとかで、JOC会長も、森喜朗の顔色をみて恐れ入るようなふうだったのだろう。話は進みそうである。 私は、楽しんでいる選手を見ているのが好きである。たしかに、経済援助して送り込んで云々という銭勘定がはたらかないわけではないが、どだい、ふだんの助成すら満足にできず、運動選手は身銭を切りながら寸暇を惜しんで練習に明け暮れているのだ。その末、世界の中で何番目かに入れなかったら大会に出してやらないぞと脅すとしたら、いったい誰が純粋にスポーツをする喜びをもてるというのだろうか。この元首相、名前のようには喜ぶことを理解していないのではないかと思う。 選手本人と、家族や周囲は、経済的にもひどく苦労して、選手を育てている。まるで蓮の花のように、泥にまみれた根を見せることなく、笑顔で美しい演技を見せてくれる選手たちが「楽しめた」と漏らせる社会は、自由でよいと思う。メダル至上主義なのは、国威をスポーツ大会で示したい、発展途上国か統一的なナショナリズムを目指す国かであるとの評判で、いずれにしても、自由の制限が顕著であった例がある。 あれ、あの元首相は、自由なんとか党ではなかったっけ。 |