◆惨憺たる…… 「ザ・レイプ・オブ・ナンキン」の著者、アイリス・チャン氏が、恐らく自殺によって亡くなったことがこの2004年11月、知らされた。旧日本軍による南京大虐殺事件を扱った著書で知られていた。 知られていたというのは、その資料に嘘が多く(不思議と、すべてが嘘だ、とは誰も言わない)、虚偽の歴史を欧米人に植え付けるものだとして、日本でのとくに右派からは酷評を浴びていた。いや、虚偽は虚偽として、各方面からも批判されていたそうである。 だが、それは言論の上でのこと。私的な脅迫はよろしくない。批判の域を超えて、アメリカにまで、脅迫の声すら寄せられていたらしい、とも一部では報道されている。中には、右翼が英語で脅迫したなどありえない、と否定する個人もあるようだが、それはほとんど冗談に近い。今回の自殺(としておく)が、この本に由来するかどうかを想像することはしないが、鬱病の治療をしていたらしいというのは、無関係ではない可能性もある。もちろん、こうしたことは数学と異なり、はっきり示されるものでもないだろうけれど。 この自殺を述べるにあたり、産経抄が11月13日に取り上げた。前半で取り上げた本宮ひろ志さんの『国が燃える』についても、余計な言葉を重ねていると思うが、後半で、このアイリス・チャン氏について、言論に似つかわしくないことをやっている点が気になった。 「その“惨憺(さんたん)たる歴史書”を書いた女性ジャーナリストは、なぜ自分で自分の頭を撃たなければならなかったか。彼女の意図的な反日の筆により、いわれなき汚名を着せられた元日本兵の多くはすでに故人となった。彼らの憤怒の声が聞こえた、というのはむろん小欄の空耳だが…。」 さすがに、すでにこのことを問題視してネットのブログなどに記している人が、調べると何人かいた。そう、これはすでに言論ではない。バラエティ番組で占い師が人の悪口を言っているのと同じである。 作家が自殺したのは、人を悪しく語る作品を書いたため、恨みの霊が彼を自殺に追い込んだ、などと誰が言うだろうか。「空耳」だと断っているから書いてよいというものでもない。言論には言論のルールがある。個人のブログのことではない。大新聞のコラムである。与える影響の責任というものがある。 実は、チャン氏の訃報が入ったとき、これはかのコラムニストがどう出るだろうか、と私は一瞬考えた。多分、紳士的に、お悔やみを述べた上で、でもそれは間違いだと改めて指摘するのだろうと予想していた。まさか、こんな手段を用いるとは思ってもみなかった。 こうした惨憺たる論調を公表しなければならないとは、逆に、気の毒にさえ思えてきた。 因みに、このコラムニスト、イラク攻撃に関して自殺したと思われるケリー国防省顧問については、戦争に大義などない、と弁護の姿勢こそ見せるものの、イラク国民の憤怒などという見方は微塵も示していない。 ※ご指摘があったことから、表現の一部を、2005.9.27.に改めています。 |