他人の悪口を商売にする
2003年8月19日

 怒りの報道は、阪神の星野監督の声としてまず知りました。そういう番組を認めるならば、阪神球団も取材を拒否するだろう、と。
 もちろん、福岡ダイエー球団側は、番組終了直後に抗議を入れています。たまたま私は、星野監督の怒りの言葉を先に聞いたというわけです。フジテレビのお笑い系の番組で、ギャグの一つとしてのようですが、福岡ダイエーの王監督をひどく侮辱することをやったのでした。
 フジテレビのスポーツ局はこの番組のことを知らず、知らせを受けて直ちに球団へ謝罪に行ったそうです。しかし、試合前ということで十分な話し合いができたわけではなかったといいます。当然でしょう。しかし、その程度の詫び方で済む問題ではありません。球団側は、フジテレビの取材を一切拒否すると返答しました。

 いつからでしょうか。芸人が、他人を貶めることで笑いをとろうとし始めたのは。
 笑いとは、芸人自身がアホになって、観客に優越感をもたせるところに成立する、という説明をした芸人がいました。たしかに、昔の笑いは、そういう前提の下に成り立っていたように思います。けれども、今の時代、笑いがしばしば、その場にいない人の悪口を飛ばすことでなされるようになってきました。制作費が安く済むのでしょうか、芸能人が名前を忘れられないようにするためでしょうか、芸能人が集まって、その場にいない人の悪口で盛り上がるタイプのトーク番組も増えました。自分がアホになるのではなく、他人をコケにして笑いをとろうとするのです。
 若い芸人の芸も、断片的に他人の悪口を並べるばかりというパターンも多いように見えます(誤解のないように言うと、テツ&トモもそのタイプのように見えるが、彼らの場合はむしろ自分を笑いものにしていると言ってよいでしょう)。

 なるほど、私たちも、その場にいない人の悪口を言うことがあります。政治家の悪口を言うのもそういうことです。でも、芸能人の場合とは決定的に違うところがあります。私たちは話のタネとしているに過ぎませんが、彼らは、人の悪口を言うことで、自分の給料をもらっているからです。刺激的な悪口を並べることにより、自分の商売としているわけです。つまり、他人を貶めることのプロとなっているのです。

 今回のフジテレビの場合は、この芸人のケースとも違っています。その芸ネタに問題があったばかりではありません。たんにその芸人だけの愚かさでは済まない点があります。それは一つの番組の中で行われています。番組制作者がその愚弄を起こしているのであり、ひいてはテレビ局がそれを認めているということになります。組織ぐるみの行いであり、その組織の誰もがそのことに問題を感じていなかったという点が、恐ろしいところです。
 マスコミは、ときに確信犯として、ひどいことをするものです。

 さらに、このフジテレビ、もちろん産経グループの放送局ですが、産経新聞の取り扱い方にも問題を感じます。この新聞社のサイトでは、他局でやらせがあったり、他新聞の販売店の違反行為があったりしたときには、敏感にいち早くそれを記事にして報道していくことを私は知っています。ですが、フジテレビのこの番組とそれに対する野球界の抗議については、しばらくたっても一言も触れることがないのです。
 やはり、そういう姿勢なのだということが分かります。
 気に入らない思想には問答無用で悪口を書き立てるわりには、身内の失敗は一切報道しないというのが、このマスコミの立場なのだ、と思われても仕方ないでしょう。

 当の王監督は、一切球団に任せている、ということで、勝負に徹しています。人間の器の大きさがまるで違うように感じました。

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パンダ          


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