一神教は悪なのか
2003年1月3日

■「千と千尋」の精神で――年の初めに考える

 ●多神教の思想を生かそう

 宮崎駿監督のアニメ映画『千と千尋(ちひろ)の神隠し』が昨年、ベルリン映画祭で金熊賞を受けるなど、内外で大ヒットした。
 主人公の少女・千尋は神隠しにあい、異界の湯屋で働くことになる。そこには八百万(やおよろず)の神々が疲れを癒やしにくるのだが、中には奇妙な神や妖怪もやってくる。
 ヘドロまみれでひどい悪臭を放つ「河の主」。仮面をかぶり、カエル男やナメクジ女をのみ込んでは凶暴化する「カオナシ」。始末に負えない化け物たちだ。
 だが、むき出しの欲望が渦巻く湯屋にあって、千尋はひとり果敢に、しかし優しく彼らと向き合う。そうすることで、逆に彼らの弱さや寂しさを引き出すのだった。
 この地球上にも、実は矛盾と悲哀に満ちた妖怪があちこちにはびこって、厄介者になっている。それらを力や憎悪だけで押さえ込むことはできない。それが「千と千尋」に込められた一つのメッセージだったのではないか。
 「文明の対立」が語られている。背景にあるのはイスラム、ユダヤ、キリスト教など、神の絶対性を前提とする一神教の対立だ。「金王朝」をあがめる北朝鮮もまた、一神教に近い。
 いま世界に必要なのは、すべて森や山には神が宿るという原初的な多神教の思想である。そう唱えているのは、哲学者の梅原猛さんだ。
 古来、多神教の歴史をもつ日本人は、明治以後、いわば一神教の国をつくろうとして悲劇を招いた。そんな苦い過去も教訓にして、日本こそ新たな「八百万の神」の精神を発揮すべきではないか。
 厳しい国際環境はしっかりと見据える。同時に、複眼的な冷静さと柔軟さを忘れない。危機の年にあたり、私たちが心すべきことはそれである。


 上の引用は、2003年元旦付けの、朝日新聞社の社説の最後の部分です。
 前半は、米国が戦争に突き進もうとし、敵と同じようになってきていること、日本にしても、北朝鮮を一方的に悪と決めつける論調が増し、悪い意味でのナショナリズムが強くなってきていることを指摘していました。それに対して、ワールドカップの応援は良い意味でのナショナリズムである、とも。そこで、この『千と千尋の神隠し』の絶賛です。
 
 2003年最初の社説というものには、新聞社は気を遣うものです。所信表明演説にも似た響きで、その年の新聞社の決意や姿勢を明らかにするものがあるからです。
 朝日新聞は、昨年は苦労しました。北朝鮮が悪の代名詞とされる風潮の中で、北朝鮮を擁護していた新聞社の姿勢もまた、反省を迫られることになりました。いや、ちゃんと北朝鮮の批判をしている、と公式にコメントもしていましたが、あまり歯切れがよくありません。
 立場が悪くなった社民党を次々と離れる議員も目立ちました。政治的主張にしても、一時的な風当たりで立場を変える議員が多いのは、どうだろうか、という気もします。骨のある政治家が少なくなったのか、あるいは二股膏薬的なあり方こそが今風であるのか、それはよく分かりません。
 朝日新聞は、この社説で、ひとつ気骨のあるところを見せているような気もします。それでもやはり日本が善で北朝鮮が悪と決めつけてよいわけではない、と。
 しかし、その考えが、なぜ一神教の否定と多神教の賛美へと流れこむのか――。
 アメリカがおかしいから一神教はどうも……というのならまだしも、日本もおかしいから一神教は……となるのです。それは、天皇を奉る一神教の精神だ、と記してあります。つまり、どうしても一神教が悪で、多神教が善であると言いたいわけです。
 ひとつの価値を善とすることが争いを生み、自己を正義とするのであって、さまざまな多様性を認める多神教こそが平和をもたらす、そう言いたいわけです。梅原猛が口にするように。
 やはりまた、アニミズムの推奨です。そして、そのために、ひとつの神を信じる信仰の否定をもちだすのです。
 
 キリスト教は、はたして、多様性を認めない宗教なのでしょうか。キリスト教界は、この点を検討すべきでしょう。自己弁護でなしに、そんな単純なものではないことと、聖書が決してそのようなことを教えていないことを、明らかにする責任があるはずです。民族的な歴史書の観点から、ヨシュア記で他民族を絶滅されたような書き方がしてあるにせよ、士師記以降確実に他の民族と同居していたという事実。いかにパレスチナでの生活が、他国との同盟によって成り立っていたかの事実。イエスの教えが、弱者の救済に努め、圧制者の一元化とは正反対のものであった事実。
 ただ、その後の歴史の中で、ヨーロッパ諸国が、世界の一元化を焦り、幾多の文明を滅ぼしたり妨害したり、経済的にも他民族を虐げてきたことも、認めないわけにはゆきません。それが端的にキリスト教のせいだというわけではないにしても、キリスト教が関わっていないなどとは言えないわけですから。便乗した点も実に多いのですから。
 
 それにしても、多神教を絶賛することで、やはり奇妙なナショナリズムを始めようとしていることに、朝日新聞が気づいているのかどうか……。このサイトでも以前に指摘しました。炭火の2003年1月においても偶然このことを指摘していました。そのように、アニミズムの復権は、警戒しなければならない事柄であるはずです。物事を善と悪との二つに塗り分けようとする点では、このアニミズムもまた、悪しき一神教となっていることに、気づいていないような知識者たちの盲点を、今年もまた、明らかにしていく心づもりです。


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