正月らしさとは?
2002年1月1日

 2002年を迎えました。皆様のご支援・ご協力をありがとうございます。たかぱんワイドは、この新しい年、どんなふうに進んでいくか、それは皆様のお声次第です。引き続いてご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。
 なお、たかぱんワイドでは、公現日の1月6日までは、クリスマスバージョンでお届けしました。たんに更新し忘れてのことではありませんので……(という言い訳だったりして)。

 さて、このお正月ですが、近年、お正月らしくなくなりました。
 古い伝統が消えていこうとしているのか、また新しい形で伝統が始まるのか、それはともかく、お正月がお正月らしくなくなったのは事実です。
 子どもの遊びなどというレベルのみならず、着るもの、食べるもの、すべてにおいて、昔からの形式がなくなっていくように見えます。
 店舗が、三日から開店ということで驚いていた時代はもう過去のこと。二日は当然、最近は元日もざらです。たしかにそのほうが、商売の効率は上がるのかもしれませんが、それがすでに正月が正月でなくなっている証拠であるともいえます。
 キリスト教国でも、日曜日は店は閉まっているのが当然という時期もありました。今なおそれが原則である国も少なくありません。が、だんだんそれも守られなくなっていきました。経済的には、日曜日に販売したほうがもうかるに違いありませんから。
 イスラエルは、安息日といって、ほぼ土曜日をかなり厳格に守る国です。聖書の規定で、厳しく守られているのは二千年来変わりません。それが、やはり安息日に店を開くところもあるのだそうです。
 宗教的なきまりだからどう、ということでなくても、正月は日本ではとにかく特別なひとときでした。それはハレの日であり、日常とは区別されて、非日常のときでした。そのハレとケの区別がなくなっていき、すべてが世俗化の中で過ごされていくのが時代の流れのようです。というのも、数字的には、そのほうが有利に違いないのですから。
 数字で計れないものの存在。
 目に見えないものの存在。
 それを軽んじるのがその傾向だとすれば、さみしく、また悲しいような気がします。
 一番大切なものは目に見えない……星の王子さまの言葉は、聖書から来ています。

わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。
見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。
(コリントの信徒への手紙二4:18, 新共同訳聖書・日本聖書協会)


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