紅白歌合戦の視聴率
2005年1月8日

 世間の評価は厳しいものです。NHKの紅白歌合戦の視聴率が40%を切ったと大きく報道されました。テレビを見ていない人も含めての数字であるだけに、今時40%近くとれるというのは驚くべき数字なのですが、過去の紅白歌合戦と比較して最低だということで、話題にされているのです。
 いえ、そう強く言われる理由は、NHK内の資金流用の不祥事があったからであって、批判の矢面に立たされた会長は辞任へと追い込まれることになりました。それが責任者というものでしょうが、無念ではあることでしょう。
 
 金銭の不正使用は、何もNHKだけで起こったことではありますまい。各方面で起こったこと、また起こりうることであるのですが、NHKが公共放送という特別な立場をもち、人々が直接支払う受信料によって成り立っているという背景が、この不正に対する厳しい眼差しを集めることになったのかもしれません。
 民放でも問題がないわけではありません。そして、民放にしても、広告費で運営されているとなると、人々が間接的に支払っているようなものなのですが、NHKほど風当たりは強くないようです。
 
 これは私的な印象ですが、NHKの番組には、やはり魅力があります。私は、録画して残す価値のある番組がNHKに多いと感じていますし、事件取材についても、一定の信頼をおいている人が多いように受け止めています。
 バラエティも楽しく、また中には感心するのもありますが、同じ時間の中では、情報量が少なすぎるように感じます。1時間のクイズ番組を見て、ためになった知識はごく僅かという感じです。
 このあたりは、人それぞれのお好みでしょうから、どちらが良いとか悪いとかを定めるつもりは私にはありません。
 
 組織が動いていく中で、その組織の常識というものがあることは、当然です。そうして、一定の体質化のようなものがなされていきますが、時にそれが組織外の常識とはかけ離れていくことも、ありえます。
 たとえば、教室で「先生」と慕われる教師は、つねに教室のリーダーであり権力者でありますが、いつの間にか何でも自分の思う通りになるという錯覚をする可能性も指摘されています。警察の中でもどこか似ていて、当事者に対して威圧的な振る舞いをして当然だという空気があったりします。一般の役所では、近頃ようやく、本来のサービスに努めるところが多くなってきたのは、よい傾向だとは思いますが。
 内部ではこれが常識だ、とか、みんなやっているからいいんだ、とか考えて、外から見れば問題があることを、やって構わないと見なすようになっていくことを、「体質化」と呼んでみましょう。あるいは「あぐらをかく」とも表現されることです。内部で互いに自己義認する中で、たいへんな自体を招くということにつながります。
 
 当然、資金の横領や不正使用は、許されることではありません。
 大きな組織の中で、半ば体質化して金銭が軽く扱われているとすれば、厳しく注文をつけなければならないでしょう。それも、公共料金的に徴収して経営を成り立たせているNHKの場合は、なおさらです。
 ただ、不祥事があったことを理由に、「だから受信料を払いたくない」という人が現れたとすれば、残念なことです。それは批判というよりはむしろ、どんな理由でもいいから金を取られるのは嫌だ、と思いが含まれている場合があるからです。たとえば、政治家が税金をムダに使ったから俺は税金を払いたくない、とか、自衛隊には反対だからその分の税金を払いたくない、とか何とでも言いたい人がいるのでしょうが、罰則があるために仕方なく払うわけで、NHKの場合は支払いを拒否しても罰則がないために、拒否しようという行動に移せることになります。
 
 自分は悪くない。他人が悪い。世の中が悪い。社会が悪い。
 私たちは、えてしてそのような思考をとります。そうでないと、精神的に成り立たないところもあるかもしれません。
 紅白歌合戦の視聴率の報道に関して、万一、不祥事の知らせを聞き、ほらみろNHKが悪い、と叫び、あたかも鬱憤晴らしをするみたいに、非難の大合唱を続けるということに直結するならば、私はその合唱には加わりたくない立場にいます。むしろ、その大合唱を止めようとする側にまわりたいと思っています。
 たんにNHKに肩入れするわけではありません。が、一斉に声を集められて潰されそうなNHKを見て喜ぶようなことはできない、という意味です。
 
 何かしら、ある者が悪いという評価を受けると、それを専ら非難することが唯一の正義のように思い込んでしまうことがあります。だから弁護士という仕事は大変だろうし、また価値があることなのだとしみじみ感じます。
 イエスを十字架につけろと叫び続けた群衆の姿は、私の姿でもあり、人間誰にもそういう面があるかと思います。そこに気づいた人が、新約聖書を信じていくのかもしれません。いいや俺はそうじゃない、と言い張る人こそ、叫び続けているように見えるのが、クリスチャンの悲しい性となります。それを非難するのではなく、かつては自分もそうだったことと重ね合わされてしまうからです。
 いじめということがなくならないのも、こんな背景と関係があるように思われてなりません。また、権威のある者が一声敵を悪呼ばわりしたときに、それを「鬼畜」と一斉に叫ぶ潮流に乗るばかりであった歴史を繰り返すことに及ばないようにと祈るばかりです。
 
 もしかすると、人々のNHKに対する期待が大きいがゆえに、それを裏切られたような気がして、不祥事が大きく取り上げられるのかもしれません。
 今回の紅白歌合戦の視聴率の低迷についても、私は人々の非難の声の多くを悪意に取りたくはないし、むしろこの「期待」の反映として、NHKで努力している多くの方々に、さらによいものを作って戴きたいと願う次第です。頑張ってください。



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パンダ          


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