ローズ敬遠と逃げる勇気
2001年10月7日


 ダイエーホークスの、福岡ドーム最終戦は、地元のファンで埋まっていました。
 この日が優勝決定戦になるのではないか、との狙いから、売り出し当日に話題になっていました。
 しかし、すでに近鉄が優勝を決めていました。あまりにも9月の勢いが強く、なだれこんでいったような優勝でした。しかし、ホークスは、すでに143試合後の栄冠という目標をもって、始動していました。また、この日、先発田ノ上投手は、勝利投手になれば最多勝率の記録がつくということもあり、負けたくない試合でした。
 相手は大阪近鉄。いかに優秀チームとはいえ、今シーズン、18勝9敗と、いわばカモにしているチームです。勝算はありました。


 近鉄のローズ選手にも、記録がかかっていました。すでに今シーズン55本のホームランを打ち、あと一本で、単独の日本記録を樹立することになります。当然、打たれた投手も、ある意味で不名誉な記録に残ることになります。
 そして、その従来の55本の日本記録を所持しているのが、ホークスの監督である、王貞治さんです。
 ホークスのバッテリーは、一番打者に置かれたローズ選手に、いきなり敬遠を……もちろん城島捕手はあからさまには立ち上がりませんが、完全にすべての球を外しているのは明白です。
 そういうことが、続きました。
 怒ったローズ選手が、はっきりしたボール球を振り回して打ち、アウトに倒れることもありました。
 もちろん、勝負もしました。しかし、全体的に逃げているのは、明らかでした。
 試合は、逆転の末、終盤にたたみかける攻撃で大勝し、田ノ上投手も完投で、記録を手にすることができました。
 試合後、ホークスは、王監督の続投と、来シーズンへの主将の誓いなどセレモニーがあり、同時に、来年こそは優勝するという、新しいスローガンを発表しました。
 そのときは、それでよかったのですが……。


 正々堂々と勝負をしなかったホークスのバッテリー、そしてチームや監督に、非難の矢が飛びました。こんなことだから、日本の野球はだめなんだ、という声が合唱されていきました。

 古い野球ファンなら、誰でも思い出します。阪神のバース選手が、王選手のホームラン記録に、あと一本と迫ったとき、対する巨人は、バース選手をことごとく敬遠する作戦に出たのです。もちろん、王選手の記録を破られないためでした。
 そのとき巨人の監督をしていたのが、やはり王貞治さんだったのです。


 身びいきというものもありますが、たかぱんは、そんなにたたかれることなのだろうか、と、今回の騒ぎについて思いました。
 たしかに、正々堂々と勝負するのが、清々しいかもしれません。しかし、これは高校野球ではなく、プロ野球です。もちろん、勝つためには何をやってもよいというわけではありませんが、勝つためには何でもするのもまた、事実です。
 ホームランを打たれる確率の高い選手を、できるなら避けて通りたいという思いは、誰にでもあるのではないでしょうか。選手は、打たれることで、自分の給料に差し障りがあります。生活を守ることを考えては、いけないのでしょうか。


 この後近鉄と試合をするオリックスは、なんとやりにくかったことでしょう。今度もまた、ローズを敬遠すると、何と言われるか分からない。たまったものではない、という思いで、いやいや勝負をしなければならなかったかもしれません。先に55本目を打たれた西武の松坂投手がたたえられていましたが、彼の性格や意気込み、そして若さからすると、ぶつかっていくのが持ち味なのだという理解もできるかもしれません。
 世論が、オリックスの投手の作戦を支配してしまったのではないかと思います。
 それでよかったのでしょうか。


 高校野球のように、正々堂々とぶつかることこそスポーツだ、と言う人がたくさんいます。
 思い出します。高校野球でも、今の巨人の松井選手をすべて敬遠した甲子園出場の投手は、それでも高校生かと、当時めちゃくちゃに言われました。
 今回も、大リーグではそんなことはない、と、とみに株の上がった大リーグのことを持ち出す声も、あちこちから上がりました。
 そうでしょうか。今年大リーグでホームラン記録をつくったボンズ選手がタイ記録に近づいたとき、ずいぶん敬遠されていたのを、見ていないのでしょうか。


 生活がかかっている、ということを先に述べました。
 正々堂々とやれ、清々しい勝負をしろ、と叫ぶ者は、たしかに正義を語っているように見えます。しかし、打たれたときに、その人は何の犠牲も払うことがありません。たんなる傍観者の立場で見物するだけの存在です。
 ファン心理というものを無視するつもりはありませんが、自分で何の痛みももたないことで、他人にだけ正義をおしつけるという「世間」という隠れ蓑にひそむ、自称正義の声というものは、はたしてそんなに偉いものなのでしょうか。


 ローズ選手との勝負を避け、逃げることは、当然、後で物議を醸すことは分かっていたはずです。後でひどいことを言われるぞ、という前提のもとに、バッテリーコーチは、敬遠を決めました。監督命令ではないらしいですが、監督自身、知らなかったはずはありません。王監督もまた、後で世間にたたかれることは、承知していたはずです。
 それなのに、勝負をしないで一塁へ歩かせました。ローズ選手から、逃げました。
 
 たかぱんは、そこに、ひとごとではないものを感じます。
 世間から非難を浴びることは承知で、事態から逃げること。それは、実はなかなかできないことではないでしょうか。人目を気にして、自分では肯んじ得ないことを、いやいやしている……そうしたことが、日常となっているように思います。ことに、この日本の地域では。周囲の目が許してくれない、という理由から、したくもないことをしなければならない、そうした世間の圧力を、感じたことがない人がいるとすれば、あまりにも鈍感すぎます。
 非難を承知で、逃げた人がいたら、そこにもまた、一筋の勇気があるように思えてなりません。勇気がなければ、そして非難を受けて立つという決意がなければ、逃げることはできないのです。


 たかぱんもまた、逃げる人生を送っているような気がします。
 世間という、匿名の怪物からは思い切り逃げつつ、自分と同じように世間から隠れている弱い立場の人たちには逃げることなく向かい合って、協力していけたら、と願う。それが、たかぱんの逃げ方です。
 だって世間というものは、弱者を守ることからは逃げるくせに、出る杭に対しては、集団でたたくではありませんか。これって、まさに「いじめ」ではありませんか。
 世間に隠れて正義ぶって、弱者をいじめるよりは、そういう世間から逃げていたい。逃げることには勇気がいるけれど、いざ逃げていけば、ずっと強くなれるかもしれない。
 たかぱんは、最近そんなことを考え始めました。

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