地震の内と外
2005年3月22日

 日本各地に「舞鶴」という地名は多いことと思います。
 京都府北部の舞鶴も、美しく舞う鶴の姿をした地形を称えた呼び名でありましょうし、そこには日本三景の一つ、天橋立が天にも昇るかのように続きます。先の台風での被害は、まだ癒えていないことと思います。
 福岡市の形も、美しい鶴の舞いを示しています。
 玄界灘を震源とした、大きな地震が、福岡や佐賀を襲いました。ちょうど礼拝中のことでした。私も、古い会堂の天井を見上げながら、子どもの上に覆い被さることくらいしかできませんでした。

 折しも地震発生の4日前、アクロス福岡にて、山古志村の長島忠美村長らを迎えて、防災講演会が開かれていました。
 テーマは「大規模地震への対応 〜新潟県中越地震の教訓〜」。
 その開催主旨の現実性に、改めて驚きます。
「大規模な地震は全国どこでも起こりうるものです。地中深くに眠る断層を見つけるのは不可能に近く、その存在は地震が起きて初めてわかることが多いのも実情です。九州で、新潟県中越地震と同じ規模の大地震が起きたらどうしますか?
 すべては大規模地震の脅威を知ることから始まります。新潟県中越地震の大災害を教訓として私達は何をすべきかを考えてみたいのです。
 そこで、貴重な体験談を山古志村村長や北陸地方整備局企画部長及び防災エキスパート会の皆様にご紹介して頂き、私達一人ひとりは何をすべきかを探るために講演会を開催します。」
 
 中央の新聞の論調では、その多くが、ひとまず見舞いの言葉を述べておくものの、すぐさま首都圏で起こったら、というふうに関心が飛んでいました。それは正論かもしれませんが、福岡でそれを聞いて、腹立たしい思いをする人は、たくさんいることだろうと思います。
 新潟の地震のときには、即座に、あの人たちは大変だ、なんとか……という思いだけでニュースを見守っていた私たちとしては、この地震直後に、もし東京で、と考えている人々の気が知れません。
 それは、十年前のあの状況の中でも同じだった(例えば一週間後の24日の新聞広告に出された『週刊ポスト』『週刊現代』が東京の心配ばかりしているのを忘れることができない)のですから、状況は何ら変わっていないことになります。
 
 福岡周辺の地盤は、かなり安定したものだと言われています。そのせいか、被害の「数字」は、他の地震に比べて少ないものでした。そのことについても、触れた新聞がありました。
 22日付の毎日新聞の社説では「犠牲となった死傷者にはお気の毒だが、地震の規模の割に被害が少なかったのは不幸中の幸いと言えるかもしれない」という言い回しを用いています。
 これでも、気に障るような思いがするかもしれません。私は被災者とは言えませんが、その揺れを感じ、建物や道路などの状況を身近に捉え、自分もそうなったかもしれないという思いと共に死傷者のことを聞く立場にいます。このような使い方でも、「幸い」という言葉を持ち出されることには、不愉快な思いがします。
 しかし、次のような言い方は、常識的にも、考えられない表現だと言わざるをえません。
 同じ日、産経新聞の社説「主張」は「幸いにも今のところ亡くなった人は一人で、負傷者も大半が軽傷ですみ、大きなビルなどの建物倒壊もなく、被害が最小限にとどまったのはなによりだった」と記していたのです。
 私には書けません。「幸いにも……一人で」などとは。いや、どこかでそうした言い方をしていないとは限りませんから、お叱りは受けたいと思いますが、気持ちとしては、そうした言い方をすることには、通常ブレーキがかかります。
 
 被害は、数字で表され、数字として還元されていきます。
 人の痛みも悲しみも、数字では計れないものであることは、きっと誰もが分かっていると口では言うのに、数字が小さければ、「幸い」という言葉をぶつけるのは、それが口先だけのものであることを証拠立てていることになるのでしょうか。
 しかしまた、数字は、大きいからと言って、被害を理解したことにもなりません。阪神淡路大震災において、しばしば死者数ばかりが伝えられます。私たちは、その六千余の人々の数を口にすることで、人を悼んだ気持ちになっていきます。しかし、負傷者の数はその背後に消されてしまいます。その負傷者の中には、もしかすると回復が難しいのではないかと思われような怪我を負った方や、脳障害を負った方とその家族も隠されています。死者数の多さの故に、そうした方が顧みられなくなっているとすれば、悲しいことです。
 
 関心を呼んだのは、福岡が、地震がないと言われる地域だったことでした。
 ですから、各地で、自分たちの場所も地震と無縁ではないぞ、という思いに駆られたのは、悪いことではありません。
 最近、関東で大地震が発生したらその被害が国家予算を超える規模のものになると試算されるなど、新潟の地震のことも受けて、真剣に考え直されていた背景もあります。何も、東京の地震を心配することが悪いことではないと思います。
 しかし、新潟の場合もそうですが、まず助けが必要な人が多くいる中で、東京で起きたらどうなるかばかり表に出すような考え方は、冷たいのではないかと思うのです。あまりにも、被災者の外に立って傍観しているに過ぎないような……。
 せめて、こう考えて欲しかった。「私たちも甘かった。地震に対する備えを考え直そう」と。
 地震に対する自らの備えの必要性を自覚し、その自戒と共に、援助が必要な人や地域へ働きかけてくれたなら、被災地の人々も、不快感を覚えることなく、共感を感謝する思いになれるのではないでしょうか。同じ地震の「内」に立っているのか、と感じて。
 
「ひどい揺れでしたね」
「お宅は大丈夫でしたか」
 マンション住人同士で声を掛け合うようになりました。もちろん、ふだんでも挨拶はとりあえずするのが習慣となっていますが、それより一歩踏み込んだ言葉が、誰とでも交わされるようになってきました。
 まして、被害の出た地域では、もっとそれが深いものとなることでしょう。
 こうして、地域の連帯、助け合いといった形が発生します。
 神戸などでも、それが力となった、という声が聞かれました。
 そうした支え合いは、外部の人々には期待するものではありませんが、私も含め、したり顔で「地震というものは……」と講釈するような人間は、望ましくない存在として映ることでしょう。
 
 ただ、地震はこれからもどうなるか知れないものです。余震を度々受ける中で、私もかろうじて地震の「内」にまだ居続けることになります。
 イエス・キリストは、不思議なことに、どんな境遇の人にとっても、「外」に立つことなく、「内」に居続ける力をもっている存在です。そのことだけでも、イエスをただの人間にすることができない人が世界に何十億もいる理由となるかもしれません。
 
 
 なお、この福岡西方沖地震に関して、Webにおいても実に感動的な報道を続ける新聞社が、地元九州のほかにもあることを申し添えておきます。
 どこの新聞社でしょうか。
 答えは、
「神戸新聞Web」です。淡々と事実を伝えるばかりなのに、涙が出るくらい、素晴らしい報道をなさっています。その視点そのものが、地震の「内」にあるのです。
 ここでは、新潟県中越地震のためにも、特集が続けられています。



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