JTのキャンペーンは誰のため
2004年7月17日-8月14日

 日本たばこ産業株式会社が電車の中吊り広告で、「マナーの気づき」をアピールしています。「700度の火を持って、私は人とすれちがっている。」とか「たばこを持つ手は、子どもの顔の高さだった。」とかいう文字と共に、シンプルなイラストが表示されているのです。

 一見、良心的な広告です。だが、ご覧になると分かるように、上記のような日本語のほか、なぜ危ないかなどの説明は、すべて英語で書かれています。英語はよく分からない人も少なくないし、英語の意味を理解するのにはじっくり読み込まなければなりません。

 ポスターは、一目見て何かを訴えるべきもののはずなのに、このポスターは、じっくり読まないと、何のことか分からないようにできています。上記の日本語だけを読んで戴きましょう。極めてもってまわった言い方であり、「だから何?」という感じさえするのではありませんか。一つの事実を言明しているだけであって、そこから下される結論は、読む人により様々であると言えましょう。

 つまり、このポスターを見て、「だから歩きたばこはいけないのだ」と思うのは、加害者でなくたぶん被害者に多いはずです。「歩行喫煙をしていた自分が恥ずかしい」と思い直す加害者は、稀ではないかと予想されます。

 私たちにとっては残念ながら、加害者は自分の加害性に「気づかない」ように、このポスターは作られているのです。

 そもそも、喫煙者のことが悪く書かれているようなポスターを、喫煙者が好んで見るでしょうか。じっくり英語まで読むだでしょうか。わざわざ英語で書かれ、事実は書かれているが、だからどうすべきかは明言されていないポスターを、加害者は読まないのです。つまり、加害者の側は何ら改まることはないわけです。

 このポスターは、被害者側に、「JTはちゃんとマナーのことも考えていますよ」とアピールするためのものに過ぎません。嫌煙派を宥める目的のものだと言わざるをえません。加害者に犯罪的行為をやめさせるためのポスターとはなっていません。

 いかにもずるい戦略です。

 この解釈は、曲解でしょうか。この、「マナーの気づき」のサイトでさえ、注意深く探さなければ、JTのホームページからは探せないところにあります。私に言わせればほとんど隠されていると言ってよいような置かれ方をしています(試しにトップページから入って、「マナーの気づき」がどこにあるか探してみてください)。この点にも、「一応ちゃんとアピールしていますよ。でもなるべく見られたくないんですよね」というJTの意図が丸見えであると、私は断言したいのですが。



追加。
 その後も、しきりにこのキャンペーンは続いています。タバコのCMは禁止されたはずなのですが、このCMは、タバコのCMではなくマナーのCMであるという意味なのでしょう、どんどんテレビでも流されます。しかし、画面に出てくるのは、タバコやその煙ばかり。とにかく画面にタバコの映像を流すという意味では、JTの宣伝としては大成功です。まったく、巧みです。
 その一つ「たばこを持つ手は、子供の顔の高さだった」というものが、タバコの自動販売機に貼り付けてありました。気になるのです。「だった」という言葉。英文では、「is」であり、そのまま訳すと「高さである」のはず。それをわざわざ「だった」と訳して日本語で出している意味は何なのでしょう。それは、「もうそれは過ぎたことであって、今さらくよくよ考えても仕方がない」という思いに重ね合わせるためなのです。済んだことは水に流そう、と、子供の顔の高さだったんだよ、ああ危なかったね、何もなくてよかったよ、とだけ考え、またタバコに火を点けて歩き始める行為を助長しているに過ぎません。日本人、あるいは日本語には、そういうところがあります。その性質をうまく含めて、「高さです」という現在への注意や命令を感じさせる言葉を避けて、わざわざ「高さだった」という、もう今さら考えても仕方のないことだ、という情緒の中に流し込んでしまったのです。英文を細かく見る人など、めったにないのですから。
 このことからも、私が先に指摘したJTの意図なるものは、ますますはっきり証明されていくものと考えられます。



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