本

『図説 アルプスの少女ハイジ』

ホンとの本

『図説 アルプスの少女ハイジ』
ちばかおり・川島隆
河出書房新社
\1890
2013.9.

 アニメで有名になった。私とて、最初の出会いはテレビアニメだった。そして信仰をもつまで、それの原作になど目が行きとどいていなかった。
 後に、あの名作と呼ばれたアニメが、原作とは全く違うものであることを知る。「全く」というのは、アニメファンには意外かもしれない。それは、犬が原作に登場しないとか、ペーターの性格が違うとか、そういうことを言うのではない。スピリットが違うのである。つまり、ヨハンナ・シュピーリが作品に盛り込んだ魂とも言えるその保守的な信仰のエッセンスが、完全に無視されて、いわば骨抜きになっているのだ。
 この本は、その信仰を宣伝するものではない。ただ、原作にあるその信仰を事実として正確に伝えてくれる。「ハイジ」という作品について、ただ公平に、客観的に伝えてくれているのである。副題は「『ハイジ』でよみとく19世紀スイス」とある。単に作品の解説というのでなく、当時のスイスという国を理解しようという視野である。そういう社会、生活環境を知ることにより、作品に描かれている事柄を受け止めたいという、本当のファンが心をこめて作った本だというように感じた。熱い心を覚える。
 カラー写真と図版をふんだんに活用しており、そのためにお値段はやや高めに設定されているように見える。とにかく焦点は『ハイジ』そのものにあるのだから、その物語を少しずつ辿りながら、登場する人物や町、背景の文化など、細かなところにまでこだわった研究家が、読者にひとつひとつ噛み砕くように説明する。相応しい写真や資料を提供する。実に親切で詳しい解説だ。これ以上を要求することはできまいと思われるほどである。
 当時の人々がどんな暮らしをしていたか、それは私たちが思う以上に田舎でもあり、また、私たちが思う以上に現代に近い。今その町が山奥にあったとしても、違和感がないかもしれないとさえ思う。山羊の乳の味まで事細かに説明されていることに恐縮するが、それもまた今なお伝統として生きているものだ。
 そこに篤い信仰が加わる。原作を読むと分かるが、この物語は聖書に導かれていく。決して狂信的な態度ではなく、素朴で誠実な信仰が描かれている。だからハイジも自然と聖書を、つまり文字を覚えるという過程の中で、そして心を閉ざした人のドアを優しく自ら開くように導くということの繰り返しの中で、生活と人生の主役に置く。また、山を離れたハイジ自らも一時は心を病み、信仰の導きで明るさを回復する。
 そこには、著者とその両親の人生が反映されている。作品についてのあらゆる角度からの解説もすばらしいが、資料の少ない著者の人生についてのこれほど詳しい報告が用意されていることに驚く。というのも、著者自身、自分に関する手紙を死を前にして焼却するなど、プライベートな痕跡を残さないで旅立って行ったからである。その生涯の、あらん限りの調査により、この作品にこめられた心とその背景とを、私たちは理解することができるようになる。保守的な信仰がどのようにして、44歳でのデビューに結びついたか、まことに興味深い。
 メディアでの取り上げられ方にも言及され、世界各国で映画化され、またその中には日本のアニメも、日本作だとは知られない場合もあるほどに、世界共通の認識となっていることが指摘されている。しかし、本家のスイスにおいては、このアニメには違和感を覚えるらしく、ついにアニメは今なおテレビ放映されていないのだという。DVDは販売されており、しっかり観光のためには利用しているそうだが、やはり信仰を抜いた、いかにも日本らしい描き方である。日本人が理解できなかったという点もあるだろうが、それを描くと受け容れられないとも考えたのかもしれない。これでは、スイス本国から見れば、まるでだしの抜けた昆布のようなものであろう。その意味で、味わい深いだしのたっぷり利いたこの本、どんな形であれ、ハイジについて少し知りたいと思った方、あるいはすでにファンである方には、ハンディであるという点でも、またとない資料であり案内であると思われる。そう見ると、お値段はむしろ安かったと言ってよいものだろう。
 もし原作を、もちろん翻訳でよいのだが、お読みでなければ、一度如何だろうか。その点、『少女パレアナ』は、アニメでもそこそこ信仰が描かれていたが、やはり原作の味わいはまた違う。19世紀を生きた欧米人の描く世界は、たんに古き良き世界というのみならず、私たちが忘れた、あるいは捨てたものの中に、どんなにきらめく宝物があったのか、ということについて、感がえさせてくれるような気がしてならない。




Takapan
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