本

『あなたを閉じこめる「ずるい言葉」』

ホンとの本

『あなたを閉じこめる「ずるい言葉」』
森山至貴
WAVE出版
\1400+
2020.8.

 10代から知っておきたい、と実は題の頭に付いている。学校での会話の中に現れるシチュエーションが例示され、その会話の中に現れる「特定の文」に着目する。その言葉はどのようにして出てきたものなのか、何故出てくるのか、それをどう捉えればよいのか、分析が3頁にわたって入ってくる。そして最後の頁にまとめとして、短く結論的なアドバイス(ぬけ出すための考え方)が提示され、その下部には、この話題にまつわる「用語」が挙げられ、解説がなされる。この形式が、最後まで続いていき、29のケースが取り上げられている。どこから読んでもよいだろうが、おそらく順に読んでいくと理解がしやすいのだろう。しかしできれば少しずつ、考えを深めながら味わっていくほうがよいように思われる。
 私は偶々この語句にしても基本的に知っているし、常日頃このような言葉の背後にある問題について考えているタイプなので、一気に読ませて戴いた。もちろん、この言葉の背後にどんな「腹」があるのか、改めてまざまざと見せてもらったものもあり、学ぶことが多かった。が、確かに私のように「罪」という問題と「言葉」というものとに考えを巡らせている人間にとっては、なじみ深い言葉の数々であったと言うことができそうである。そして、できるだけではあるが、ここに挙げられたような言葉は、避けてきた傾向があるため、本書は多くの人に、とくにもちろん若い世代の人にお薦めしたいものであるが、これはやはり大人の方々に読んで戴きたいと思う。もうこれらの偏見に凝り固まった大人たちこそ、自分の姿を見せつけられる経験をしなければならないと強く感じるのだ。当然、私自身も反省しながら。
 この「ずるい言葉」ばかりを――本の販売戦略からするとネタバレのようなものとして迷惑に思われるかもしれないが――、挙げてみよう。
 「あなたのためを思って言っているんだよ」
 「どちらの側にも問題あるんじゃないの?」
 「はっきり言わないあなたが悪い」
 「言われた本人が傷ついてないんだからいいんじゃない?」
 「もっと早く言ってくれればよかったのに」
 「あれもこれも言えないとなるともうなにも言えなくなる」
 「(そういう人なら)友達にいるからわかるよ」
 「身近にいないからわからない」
 「そのうち気が変わるんじゃない?」
 「傷ついたのもよい経験だったんじゃない?」
 「自分で言うのはよくて、人に言われるのはダメって変でしょ」
 「自分がされていやなことを人にしなければいいんでしょ?」
 「ひどいとは思うけど、そこまで傷つくことかな?」
 「私には偏見ないんで」
 「悪気はないんだから許してあげなよ」
 「心の中で思ってるだけならいいんでしょ?」
 「昔はそれが普通だったのに」
 「いまはそういう時代じゃないからね」
 「差別なんて絶対になくならない」
 「差別があると言っているうちは差別はなくならない」
 「これは差別ではなく区別」
 どうだろうか。私も口にしたことのある言葉は実際あるが、世の中には、正論を吐く態度をとっている声の中に、これらの多くが見られないだろうか。
 著者はこれらを「上から目線」「自分の都合」「わかってる」「決めつけ」「思いこみ」「偏見」「時代のせい」というカンチガイによるものと分類し、最後は「差別意識」がカクれているのだ、と斬り込む。私はこれらの全部についてではないが、相当な数についてしばらく突っ込んで論じたり、指摘したりしてきた。というのも、そうしたことを平然とやっている特定の人物がいるからである。クリスチャンだと自称しているが、信仰がないばかりか、聖書や神を自分の思いこみのものとして決めつけ、何でもわかっていると豪語し、世の事柄についても偏見と差別を丸出しに一日中ツイートしているのである。直接本人を知っているので間違いない。誤りに気づいてもらおうと少しばかり指摘すると、たちまちブロックされた。自己愛の極みで、あらゆることが自分の思い通りになることこそが真理だと上から目線で、すべて自分の都合でいかないと世の中や他人が間違っていると誹謗中傷を繰り返すのである。時代の差のことも度々呟いているから、本書の分類項目をすべて網羅していると言える。それで私は、実例があるものだから、これらの指摘をその通りだと受け容れたのである。
 また、これら8つの章章の終わりの空いた1頁には、「大阪人なのにおもしろくない」とか「オカマの方」とか「感動ポルノ」とか、コラムとして気になる実例が欄外的に挙げられていて、これまた味わい深い。本編の子どもたちと教師らの会話の中に収められなかった分を、はみ出しとしてここに散らばらせているようだ。この「教師」だが、その教師らが実は「ずるい言葉」を放っている張本人であるので、大人の反省のためにこれは優れたモデルだと考えたのである。
 この私自身が「ずるい」存在となり、「ずるい」言葉をばらまかないように気をつけなければならない。しかし気をつけていても、人間には元来この「ずるい」基盤が具わっていると私は感じる。つまり、本書は「ずるい」という形で子どもたちに響くようにテーマを掲げているが、これらは紛れもなく、人間の「罪」なのである。罪であることを知る者は、この罪なる意味に気づくように準備されているものと思われる。自分の中にはこのような罪があることを弁えて、祈りつつ、言葉を発したいものだ。舌は確かに、火であって、抑えることができないのだから。




Takapan
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