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『雑文集』
村上春樹
新潮文庫
\750+
2015.11.
随所にあった細かな文章を集めた雑文集。まさかこのような形で集められるとは思わなかったほどの小さなものまでも、拾い集められたものを掲載しているので、レアものばかりであるともいえる。たとえば、文学賞を受賞したときのスピーチだとか、ちょっとした企画に寄せたエッセイのようなものとかである。海外の言語で翻訳された自分の作品の解説文のようなものまであるので面白い。しかも、それはその国に対して媚びたようなことがなく、そのまま日本語として当たり前に肯きつつ読めるようなものであって、村上ペースはぶれないということがよく分かる。
さて、こうした文章を集めて何という題の本にするのか、と悩んでいたがなかなか良い題が見つからないままに、「仮題」として呼んでいた「雑文集」を書名にしてしまうことになった経緯までも書いてあるが、確かに雑文集である。かなりふざけたと言ってもいいくらいに明るいものもあれば、沈んだ暗い風景の中にある文章もある。
とくに、2009年のエルサレム賞の受賞についてのスピーチは、重々しい。政治的な背景から、ずいぶんと批判を浴びたのだ。それに対して苦しむこともあっただろうと思われるが、スピーチではそうした声に対する立場の表明もあるし、その意義も、村上らしさに満ちたものとなっていると思うし、決してこしらえたような姿ではないはずだ。
もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。
こうゴシックで書かれてあり、このあいさつの中で強調されている。痛く心に残った言葉であった。
音楽については、もちろんジャズについてばかりだが、アーチスト本人との交流を含め、村上の音楽観が深く広く現れている。そもそも作品の中でこの音楽が流れ効果的に扱われている故に、読者はこれくらいの蘊蓄や趣味の告白には驚かないだろうが、それにしてもまとまった形で音楽についての考えが出てくるのは爽快である。巻末の、安西水丸と和田誠の対談の中で、村上の音楽についての、熱の入れようと決して触れないジャンルなどについて語られているのも併せて味わいたいところだ。
時期的なものもあるが、オウム真理教について扱った、『アンダーグラウンド』についても、その本の中とはまた違う形で村上自身の考えや捉え方が詳しく語られているものが掲載されている。
また、やはり一番私がのめりこむべきだと思ったのは、翻訳についてと小説を書くことについてだ。これはもう内容を紹介しないことにするが、私にとり宝になりうるような、貴重な文学論であったり、村上作品について十分納得できるような背景談であったりするものだと思った。村上自身が、小説を書くために文学を学んだり、文章論の修行をしたりしたわけではなく、生活の中でただ書きたくなって書いたら道が拓けたという経緯は、よく知られている。いわば素人のまま作家というプロになり、長く続けているという、ある意味で羨ましい経歴と才能の持ち主である。恐らく、書く自分についての分析自体も、本来できたものではなかっただろう。それが後にようやく言語化できるようになってきて、自分についても語ることができるようになってきたのかもしれないし、あるいは今なおそんなことはよく語れないとはにかんで答えるかもしれない。作者のそんな顔を想像するのも楽しい。
女子大の文学コースでの文芸誌のためのインタビューが収められているのが、ユニークである。学生の質問に対して誠実に答えている様子が窺える。「終わり」という考え方は、作品の中にもよく見られるし、ふと漏らした言葉に、なるほどそうなのか、と思えることもあり、こういう臨場感のある声を記録したものは、いいものだと感じた。
様々な分野から集められ、様々な顔がここから見えてくる。雑誌のような一冊でもあり、盛りだくさんな内容だった。500頁余り、この雑多な集まりが、ひとつの優れたエンターテインメントであったということには、読後にやっと気づいたものである。