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『カフカ ショートセレクション 雑種』

ホンとの本

『カフカ ショートセレクション 雑種』
酒寄進一訳/ヨシタケシンスケ絵/理論社/\1300+/2018.8.

 あのカフカの短編集。いや、ショートショートと言ってよいのが多く、実に気軽に読める。だがそれよりもなお、表紙である。中にある「雑種」という、タイトルとなった作品のイメージだが、あのヨシタケシンスケの絵そのものが、中央にどーんと目立っている。これは完全に、あの絵本なのだ、と錯覚させるのに十分である。だから、表紙を見て手にとり、カフカだってよ、と脅かせる作戦なのであろう。それからパラパラとめくり、読みやすそうだと思わせたら、あとはもうレジに持っていくしかない。
 発行は、あの理論社である。子どもの本には定評がある。だから、確かに装丁は理論社なのだ。だから、ヨシタケシンスケくらいで驚く必要はないのであるが、だがインパクトがある。あまり話題になったようには記憶していないが、もっと宣伝すればこれは売れるのではないだろうか。
 さて、不条理で有名なカフカである。あの『変身』のザムザにも驚愕を示すしかなかった世の中だが、これらの短編は、それの比でないものがある。なんだよ、それ、と言いたくなるような不思議な世界。まだ漱石の『夢十夜』のほうが情感豊かであるとも言える。この乾ききった、そして何の感情も湧かないようなストーリーで、ぷつんと終わるようなストーリーの数々。面白みが分からない、と言う人が続出しても仕方がないであろう。
 サルが人語を話し、自分の経歴を話す『ある学会報告』も、何かしらアイロニーでもあるのかしら、と思いきや、そのようなエスプリめいたものは、私は感じなかった。むしろ、世間とうまく噛み合わないカフカ自身が、ようやく人間社会との交わりを得たような、自分の境遇を描いたとでも言えば、まだ理解できそうであった。もしそうなら、自分の人生の中のあれやこれやが隠し球のようにちりばめられており、自分だけがにやりと笑って書き終えたのだろうか。文学研究者はご存じかもしれないが、私はただの素人、本書を読んだだけである。
 そこへいくと『断食芸人』は、ストーリーがまともだった。まだ分かる。それでも、いったい何のためにそんな馬鹿なことを……と思い始めたら、やっぱりカフカ自身に、何かそういう一面があったのかしら、というような勘ぐりをしてしまうのだった。誰かのことを悪く言うくらいだったら、自分の姿を道化師にしてしまえ、というような習性があったのかしら、と思いたくなるのである。
 頭と爪がネコ、胴体と大きさがヒツジという動物をペットにした話が、タイトルの『雑種』である。そのペットはヒツジの性質とネコの性質をほどよく分け持っているが、イヌにもなりたがっているのだろうか、と飼い主は思う。ネコの不安とヒツジの不安を両方抱えているようだ、と見たまま、肉屋の包丁こそが救いなのではないか、と疑い始める。まさかこれも、自分の姿なのだろうか。キリスト教社会でユダヤ人として生きる自分が、その生活において感じていたものが、こうした唐突な物語となって、現れてきたのだろうか、などとも想像してしまう。
 不条理として突き放して眺めるのではなく、これは読者が自身の中にもある感覚だ、というふうに、もしも思える部分があるのだとしたら、カフカもそれは満足してくれるのではないだろうか。同志がいるというのは、心強いものなのだ。ふりがなも打ってあり、小学校高学年でも読めるような配慮がしてあると思うが、中には、子どもには読ませたくないようなものもある。理論社さんは、そこのところをどうお考えなのだろうか。説明を、聞いてみたいような気もする。




Takapan
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