本

『ゆるしへの道』

ホンとの本

『ゆるしへの道』
イマキュレー・イリバギザ (スティーヴ・アーウィン)
原田葉子訳
女子パウロ会
\1400+
2013.5.

 前作に『生かされて。』というのがあるが、私は読んでいない。本書のほうを先に聞き、すぐに注文したのだ。
 原題はだいぶ違う。訳者の訳によると、『信仰に導かれて――ルワンダ虐殺の灰燼からよみがえって』という意味である。しかし、大幅に変えて『ゆるしへの道』となった。日本人にはその方がソフトなのかもしれない。否、「信仰」の文字が、本を売れなくするだろうから、であろう。
 著者はカトリック信徒。そして、それも半端ない純粋な信仰をお持ちである。従って、本書は政治的あるいは社会的に虐殺を論ずるようなものではなく、自身が体験したことを信仰的に語るものである。さらに言えば、「証し」だと言ってもいい。神がいて、助けてくださった、という証言が随所にあるからである。
 東アフリカのルワンダにおける虐殺事件が起きたのは、1994年であり、三か月余りにわたり、とんでもない数の虐殺が行われた。国民の多数はフツ族で、次に多いのがツチ族である。大統領の暗殺事件をきっかけとして、フツ族の過激派の残虐な行動が、歯止めが利かなくなった。民兵組織が、狂ったようにツチ族などを惨殺し始めた。大鉈を握って、血に飢えた狼のように、ツチ族を探す。やつらはゴキブリだ、と叫びながら遅う。
 いったい何人の犠牲者が出たのは分からないが、百万人ほどであろう、と推測されている。また、強姦された女性は25万を数えるといい、数千人の子どもがそのために生まれた、ともいう。
 著者はツチ族である。突然狂った社会に対応できなかった親などは惨殺され、イマキュレーはなんとか逃れた。彼女は信仰深かった。家族での付き合いのあったムリンジ牧師という人に匿われることになる。毎日外を、大鉈を握った男たちが、ゴキブリどもはどこだと吠えながら探すのを聞きながら、1.3平方メートルほどの狭いトイレに、8人の女性が、一言も話さずに息を潜め続けることになったのである。
 イマキュレーは祈り続けた。父がくれたロザリオを手に、無言で祈り続けた。その中で、信仰が強くされていったのも確かであろう。そして、ついにそこを出ることができる日がくる。反政府ツチが立ち上がり、それから、かつてフツ族を支えていたフランスから、軍が救助に来たのであった。
 しかし、国は決して安定しない。ツチ族側から、フツ族の者を裁くことも当然始まる。だから今度は、虐殺していたフツ族の者たちが、復讐を恐れて国外へ難民となって流れてゆく。
 イマキュレーは、ずいぶんと痩せた姿になっていたが、命は助かった。悲しみはもちろんのことだが、これからどうやって生きてゆくのか、考えなくてはならない。その都度神に祈る。すると、神は毎度、助け手を与えてくださる。誰かが助けに現れるのだ。そうして、国連の事務所で働く道が見つかる。
 前作では、生き延びたその体験が中心だったと思われるが、本書はその続編のように見える。最初の1章がその虐殺の場面であり、次から最後の17章に至るまで、その後のイマキュレーの歩みが描かれている。否、イマキュレーを通して現れた神の力の記録、と言ってもよいかもしれない。
 その一つひとつは、改めてお読み戴きたい。様々な別れや出会いがある。とんでもないパワハラもある。だが彼女は、自分を曲げなかった。その様子を見ると、なにもここまで、と日本人なら思ってしまいそうなくらい、頑固に「正しいこと」を貫くのである。愛人になれば豊かな生活を与えよう、と迫る上司の手から逃れるために祈りを重ねるが、硬い岩理上に立っているように、動かない。それは立場上命取りになることが当然待っているような態度であったが、神は彼女を助ける。
 大学時代のボーイフレンドと再会するが、彼の態度が以前とまるで変わってしまっていたことで、イマキュレーの心はときめかなかった。しかしこの彼はぞっこんである。幼稚な迫り方をして、結婚してくれなければ死ぬ、と言って心中するぎりぎりまでの体験をする。それでも怯まない。イマキュレーはただ神に助けを求めるのである。首の皮一枚つながったような助かり方をした後は、穏やかな別れ方ができた。
 しかしまた、イマキュレーが自分の体験を話したことが記事になり、公に知られるようになったことから、周囲の人々の立場をも追い込み、匿ったムリンジ牧師も真剣に怒る。また、フツ族の復讐の手も伸びてくる。ついに新天地アメリカに導かれる。
 ずいぶんお喋りしてしまった。だが、こうしたことはほんの僅かな出来事であるに過ぎない。たっぷり300頁ほど、ジェットコースターに乗っているようにドラマの中に、読者は引き込まれることだろう。
 イエスの幻を見たり、イエスの声を聞いたりして、イマキュレーはさらにまた信仰を強くしてゆく。どんなときでも、神と交わり、祈りを欠かさない。
 ここまで意識的に記さなかったが、神は彼女につねに「ゆるし」を示すのだった。自分の肉親をも虐殺した当人たちを、「ゆるす」のである。これがまた一種の反感を買う理由にもなるのだが、最後はアメリカで、このことを本にするように導かれてゆく。英語が堪能ではない彼女は、スティーヴ・アーウィンというライターの助けを得て、『生かされて。』を世に著すチャンスが与えられ、さらに後に、本書によって、事件後の経緯をも語ることとなった。
 やはり、読んでいて、恥ずかしくなる。命を懸けて、彼女は神に祈り、信仰を貫くのである。こんな危険があるのではないか、と考えるのが人の常だが、彼女は、きっと神が助けてくださる、の一点張りなのである。なんと自分は生温いものか。熱いか冷たいかであってほしい、と突きつけられていることがよく分かった。
 本書は、カトリックの出版社である女子パウロ会が出している。前書は違った。前書はまだこれから読まねばならないが、きっとイエス・キリストへの信仰の色が、本書は強く現れているのだろう。また、そのためにタイトルに「ゆるし」というキリスト教の教義のひとつが、原題と関係なくくっきりと描き出されているのだろう。勝手な推測だが、私はそう感じた。




Takapan
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