本

『夢を与える』

ホンとの本

『夢を与える』
綿矢りさ
河出書房新社
\1300+
2007.2.

 綿矢りさは1984年2月生まれだから、本作は23歳になったばかりのときに発行されている。大学卒業後1年ほどで出版された。久しぶりの長編であったが、本人はこの時期は創作についてよくない時期だと理解しているらしい。
 確かに、それまでの華々しい活躍のときの作品『インストール』や『蹴りたい背中』に比べると、作品自体は長くなったものの、切れ味がもうひとつ冴えない気もする。全体の色も暗い。高校生から大学初年辺りの若さからくる軽さもあるものの、どこかスカッとするものがあった2作に比べると、大人社会のねちねちとしたものが、どうしようもなく救いなく漂うばかりとなっているようにも見える。スカッとする気配がない。
 最初に登場するのは幹子であった。6年間つきあった男にフラれる。いや、「ぜったいに別れない」と意気込んで、別れ話を言われる現場に向かう。男の名はトーマ。フランス人の母親をもつ、いわゆるハーフ(その後この呼称は廃れつつある)である。留学先の大学で出会った男で、4歳年下である。幹子はすでに三十路に入っている。結婚を前提にしていたために、幹子の父親から金を借りていたトーマは、幹子の強い意志に逆らうことができなかった。さらに幹子の策略により、よりを戻すこととなり、子どもも生まれた。
 最初の数頁でここまで進展し、生まれた夕子の物語に移ってゆく。幹子の友人から、夕子は可愛いからチャイルドモデルになれそうだ、などと聞いて、その気になる。夕子は幼稚園生であった。するとスタジオで早速、カタログモデルになってほしいと言われ、夕子は小さなモデルデビューを果たす。幹子は、ここから夕子のマネージャーとしてこの女の子を恰も商品のように、売り出したいという方向に動き始める。「夕子は幹子のほとんどすべてになった。」(p21)
 小学生になると、CMモデルの依頼が来た。チーズを食べる少女として、夕子が成長してゆくままに、長期にわたりイメージガールとして撮影し続けたいというのだ。
 もちろん、地味な活動である。だが、幹子はチャンスを窺っていた。夕子は子どもらしい子どもたちの付き合いをさせてもらえず、大人に見つめられるままにその道に染まり、ついに事務所が夕子の芸能活動を管理してゆくようになる。母親とての幹子は、許可を出す管理者ではあるものの、具体的な契約活動については、もうすっかり芸能人のようになってゆくのだった。
 幹子とトーマの関係は危うい。人助けだと言いながら、トーマは別の女と暮らす。幹子にはもう夕子しかいないが、離婚ということにはなっていない。夕子が成長し、父親たるトーマに相談することもあるが、トーマは甘い。しかし幹子は、芸能活動の損得をいろいろ計算し、活動をコントロールしようとする。
 しかし、小学校高学年になる辺りから、物語の視点は、幹子ではなく、夕子に変わる。幹子についての描写がいつしか「母親」のようになり、そこから残りの9割ほどは、専ら夕子の視点で世界が映し出されるようになる。この辺りの移行が、いつの間にか、というさりげなさで、技巧的だと思った。
 ここから先は、物語を実際にお読みになって味わって戴くために、内容を記すのは控えることにする。ただ、それまでの綿矢作品にはなかった、強い性的な描写が現れる。いま2026年にて私はこれを書いているが、その後の綿矢りさが、性的な描写が大きくなり、また特に女性同士の性的な関係を幾度も描くようになってゆくことを知っている。それが今回初めて少し登場するのである。夕子のファーストキスの相手が女性だったのである。
 芸能活動の中でのこうした有様は、果たして本当の芸能界であるものなのか。やっかみでよくこのようなことが言われる。否、実際にはそんなことはない、などと言う人もいる。しかしさもありなんと思わせるものもあるし、あるいはそういう世間の興味津々なところに、実際そうですよ、と見せつけるようなストーリーが、ここから展開する。
 ある事件を契機として、夕子の姿が目立つことになり、いわばブレイクして人気タレントになってゆく。
 活動のために高校でも友だちができず、授業中も寝ていることがあるような夕子だったが、事務所は、大学受験をするタレントとして売り出すようなこともする。そのために仕事を減らし、受験勉強をさせるのだが、その中で、ある男の子と出会う。そこから、夕子の転落が始まる。
 その先には、どうにも救いがないのだ。その中で、一人、多摩という少年を探す場面がある。中学生のとき、良心の関係が悪化していたとき、ちょっとだけ話のできる男の子だった。84頁辺りから、ちょっとだけほっとする交流があったのだ。それは自分でも気づかない恋心のようなものであったのかもしれない。だから、高校生になつて修羅場を経験したときに、突然多摩に会いたいと思ったのではないだろうか。しかし、その場面は発展しなかった。もしそこで多摩に会えたら、物語は別の展開を辿っていたかもしれない。
 ともかく、ドキドキさせる急転がジェットコースターのように走り出す。
 中学一年生のとき、インタビューで、未来について訊かれると、夕子が答えに詰まることから、マネージャーの沖島は、「テレビを通して、見ている人に夢を与えられる人間になりたいです」と答えればいい、とアドバイスする(p60)。これまでマネージャーとして関わった子にも、そのように言っていたのだ、と。それで夕子はその後、「夢を与える人になりたいです」と答えるようになったという。だが、それって何だろう、と夕子は考える。もちろんそれが本作のタイトルであり、終わりの方で幾らか回収する。だが強調するというほどでもなく、そこで終わるというわけでもなかった。
 物語自体が、夢を与えることを目指していたわけではなかった。夢を与える本人が夢をもつことができるのかどうか、そんなことを思い浮かべて読めばよかったのだろうか。




Takapan
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