本

『読み・書き・計算が子どもの脳を育てる』

ホンとの本

『読み・書き・計算が子どもの脳を育てる』
川島隆太
子どもの未来社
\1600+
2002.8.

 脳トレなどという種類のゲームの監修としてもおなじみの著者である。一冊の本の中で、言っていることはわずかなので、要領のよい人は一読するまでもないことかもしれないが、脳科学を研究している人がそれなりに実証を交えて語ってくれることは、味わうに値するとも言えるだろう。また、考える働きが人間にとりどのようなメカニズムの中で営まれているかということについても、一定の理解を促すわけで、子どもの教育に携わる者は心得ていなければならない内容も多々あるように見える。
 つまりは、学校教育で研究され実践されている事柄については、概ね信頼を寄せるべきである、ということになるだろう。タイトルの通りに、「読み書き算盤」ならぬ、現代風の「読み書き計算」というものが、国語と算数という、小学校の基礎教育を指していると理解できるからである。それは、脳の能力の増進についても理に適っている、というのである。
 これは本書の埒外のことであるが、よく人文系の研究は、年齢を重ねてから味が出ると言われる。逆に若くしては、社会の仕組みや人の心の微妙なところについては、未熟で見通せない部分があるということであろう。理系は若くして才能が発揮されるものだが、文系はそうでもない。文学博士の授与は年齢が加算されてからのことであるというのも理由があるというものだ。これは、「読み書き計算」という基礎訓練だけでは身につかないものである。人生経験を過ごしてから、身につき、また味わうところが多いだろう。
 そこへいくと、「読み書き計算」は、人間が思考力をつけるための基礎訓練なのであって、これは理屈をいわず反復練習でとにかく身につけるしかない。いずれ、ということではなかなか身につかないのである。そこで、小さな子どもでも、有無を言わさずこれについては反復し体得させておくというのが、教育の基礎だと言えるものである。脳科学は、そういうところを理論的に説明しているようなものであろうか。
 しかし、それだけのことであれば、一冊の本が退屈なものとなってしまうだろう。障害児についての視点があるのはいいと思ったし、学習方法についてもできるだけ具体的に提案しているのが分かりやすいように見えた。さらに、「遊ぶ」ことについての勧めもあるのが、私としてはうれしかった。遊ばない子はダメである。家庭の手伝いをさせないというのも、教育でも何でもない。ロボットを育てるのであればそれもよいだろうが、育てる相手は人間である。また、遊ぶ中でないと分からないことも多い。座学はひとつの道であって、すべてではない。この本がそういう点にも触れているのは、脳科学という意味からしても適切であっただろうが、なるほどと肯けるものである。
 脳科学を教育に活かす、という展開が最後に期待されている。あまりに、科学理論を適用してリードしていく、というのは私は賛同できない。それは、理論を後ろ盾にして何かを推進する、というのもそうである。特定の目的のために理論を利用するという政治的な意図がしばしば働くからである。かつての口話教育のように、現場や当事者を無視して、一定の理論を押しつけたことへの反省を、私たちはつねに自問するようでありたいと思う。それで、科学理論も参考にしながら、人としての心を大切にしていくものであってほしいと願う。脳科学という名の偶像に左右されるのでなく、それを道具として使いつつ、幸福を実現する働きに役立てるようなあり方を模索していきたいと思う。人間は不完全なものなのであるから、いつでも修正可能な補助としての活用である。




Takapan
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