本

『横書き登場』―日本語表記の近代―

ホンとの本

『横書き登場』
―日本語表記の近代―
屋名池誠
岩波新書
\740
2003.11

 私たちは何気なく、縦書きと横書きを使い分けている。両方、自由に使っている。しかし、世界の言語を振り返ってみた場合、これは得意な現象であることに気づく。日本語は、どうして縦書きと横書きと両方できるのだろうか。
 素朴にそういう疑問が湧いたとき、答えてくれる資料がなかった。著者は、そのようなことを語る。ならば自分が調べてみよう、と……。これは実に素朴だが、実に正統的な、研究の契機である。身近なところに、誰も疑問に思わないような事柄の中に、研究材料、誰も手をつけたことのない問題研究が控えているのである。
 もちろん、日本語は縦書きが最初である。それが、明治以降、西洋文明が多く入ってくるにつれ、左から右へと書く横書きへと変わっていく――単純に理解するなら、それはそれでいい。しかし、江戸時代から横書きが存在することや、同じ横書きでも、右から左へ書く横書きというものも存在した。どうしてそのようなものが生まれたのか。また、その右から左へという横書きが、左から右へという横書きへ変わったのはいつであり、また何故だったのだろうか。
 右から左へという横書きは、意識の中では、縦書きなのだともいう。一行に一文字しか入ることのできない縦書きをしているとあれば、右から左へ流れるような形になるという。
 こうした事柄の検証は、当時のチラシや様々な印刷物を隈無く調べて初めて主張できるものである。明確な政府の見解があってそれで一斉に変わった、というふうなものではないからである。
 あるパンフレットでは、右の頁では横書きも右から左へと流れ、左の頁では左から右へと流れて書かれてあるという。左右対称の面白さがあるという。もちろんこのような例は少ない珍しいものではあるが、それほどに横書きに定まった方向がなかったという証左でもある。
 第20章で、著者はこんな意味のことを記している。左から右への横書きは、戦後の短い期間に急速に広まっていったのだが、「それが国家によって強制されたものではなかったこと」が興味深い、と。国は、方向を強制することはなかったのである。が、庶民が、国民一般が、文字を使う中で自然と選び取っていったのが、この左から右への横書きであった、というのが実情なのだそうだ。
 その他、いくら一般向けのものとしてセーブしてあるとはいえ、多彩でユニークな資料の紹介と共に、書き方の例が実証されてゆくのを見ると、私などはわくわくしてしまう。戦前と戦後で方向が変わった、という伝説があるけれども、それはこうした資料を前にしては、たんなる印象によるものでしかないことが明らかになる。
 JTB時刻表でさえ、1970年の秋のダイヤ改正の際に、縦書きの流れが、それまでの左から右へというのが、右から左へといういわば自然な方向に変わったという。そう、日本語の表記で問題なのは、しばしばあることだが、縦書きと横書きとが一つの文書で混在するという場合なのである。
 Wordなどでは、それがテキストボックスという形で混ざることはできるが、たしかにワープロ書院では、混在させるためにはかなり特殊なモードで起動しなければならなかった。縦書きだ横書きだという議論は、いまなお結論が定まっていない問題と捉えるべきなのだろう。




Takapan
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