本

『幼児のためのお話のつくり方』

ホンとの本

『幼児のためのお話のつくり方』
ジャンニ・ロダーリ
窪田富男訳
作品社
\1,500
2003.10

 ちくま文庫の『ファンタジーの文法』を以前読んだことがある。難しかったが、それに比べると今回のエッセーは読みやすかった。
 1980年に亡くなったこの童話作家の語る言葉が、どうして今また活かされていくのだろうか。それは、その言葉に、命があるからにほかならない。そして逆に今、言葉が死んでいこうとしているからであるのかもしれない。
 目の前に小皿がある。すると、その小皿が空を飛び、月までも行く。スプーンがパイロットであり、おばあさんに会いに行くのだ……。
 子どもは目を輝かせて聴くだろう。無関係な二つのものが結びつけられると、新しい想像力が開拓される。思いもかけないような世界が、そこから誕生する。また、そうした世界を理解する心が育つ。
 ファンタジーには法則があり、イマジネーションには構造がある、と著者は断言する。だから、手を抜くことなく、しっかりと支えられた構造の物語を創造していこう、という提案ができるのかもしれない。だが著者は、これらの2語を、別の意味だとは見ていない。同義語なのである。いわゆるおとぎ話としてのファンタジーの意味に限られることはない。その能力は、誰にでも備わっている。少数の選ばれた天才のためにある能力ではない。
 最後に、「子どもを読書嫌いにさせる九か条」の章があり、たとえばマンガがことさらに悪役になる必要がないことにも言及されている。
 著者は詩人であり童話作家であったけれども、またジャーナリストでもあった。社会に、子どもたちに関する視点が欠落しているときには、積極的にそれを訴え出る必要があると考えるのである。また、それは見事な教育者であることでもあった。教育者としての視点が、たんなるお遊戯や楽しみに留まらず、未来の希望を抱くための空想の世界をも全体として抱きとめる決意を掲げる力をもっていたことになるのではないか。
 ファンタジーとは、『ハリーポッター』の代名詞に留まるような言葉ではないのである。お父さんやお母さんが、家庭の中で子どもに誠実に対応するために、ちょっとしたお話を聞かせる、という場合に役立つというのが、この本の原語における目的であることは想像に難くない。うまい「つくり話」の作り方を考えなさいというわけである。この本はそうした日常の、なにげない子どもとの触れあいの中に豊かな種が蒔かれていることを指摘するのであろうか。
 ミヒャエル・エンデだったら、どんなコメントを遺すだろう。そんな楽しみも覚える。私たちは、どうやら物語の中でのみ、こうした世界に関わるのである。だが人々は、少年少女の心の動きを誠実に捉えて描いていこうと努力しなければならない。
 子どもの信用を得るおとなは、有利だ。




Takapan
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