『どの子も伸びる幼児の学力』
岸本裕史
小学館
\1470
2004.10
岸本先生と言えば、百マス計算の生みの親として知られ、教育界では知らない人はいない先生だ。もともとは模範的な教師などとは正反対のような生活だったそうだが、いざ自分の子が生まれて目覚めたことには、子どもの学力を開花させるための飽くなき努力であった。
小学校での実践をふんだんにして来られた著者が、今度は小学校に上がる前の子どもたちにどんな生活をさせていくと、小学校での学力に影響するだろうか、という視点から考えをまとめた本が、これである。
さすが長いこと子どもを、そしてその親を相手に話をしてきただけのことはある。実に容易な語彙で、分かりやすく、伝わりやすく、文章の中でも語りかけてくる。
要点は、人と交わり関わり合う躾を重視するものといってよいであろう。基本的な生活習慣がずぼらで、学力だけが高いというような例は、希少である。その点には、私も大いに賛成したいところだ。単なる「よい子」になればよい、という意味ではないが、たんに参考書を目の前にして猛勉強すればいい、というのは幻想に過ぎないという意味であるなら、そうだ、と思うのである。
生活のさまざまな場面での「機転」がそのまま学力に結びつくだろうし、生活体験の豊富さが、何も学ばなくとも「あのことか」と言えるような地盤を作る。私なども、百科事典や図鑑を友だちにしていたことや、外でよく暴れたことなどが、紛れもなくあらゆる教科書の理解の背景にあったといえる。
だが、この本は、そのまま全部受け容れられるかどうかは分からない。物事をはっきり伝えるための極論だとは思うが、ゲームはひたすら悪であるとか、塾へ行くと友だちと遊べないとか、必ずしも妥当でない決めつけが随所に見られたからである。年配の方から見ればたしかにそうだろう。兄弟の少ない今の子どもが、多人数での関わりに乏しいとされても、それはそれで仕方がない。だが、私に言わせてみれば、それは子どもの問題ではない。まさに、大人こそそうではないのか、と思う。
そして、岸本先生の次の言葉「今の子はかわいそうです」に対して、「そんなことはありませんよ」と叫びたい気持ちである。子どもはもっと逞しい。私たちの過ごした時代とは、また別の姿で、別の様相で、十分子ども生活を楽しんでいると思う。「かわいそう」だなどと言うと、しっぺ返しを食うと思う。アメリカ人が、「日本人はかわいそうです」と口にしたら、どんな気がするだろうか。
私は、むしろ大人だと思っている。大人がかわいそうであるのなら、まだそうかもしれないと思える。だが、子どもに対しては、私はそんな気持ちにはなれない。