本

『余白の旅』

ホンとの本

『余白の旅』
井上洋治
日本基督教団出版局
\1400
1980.9.

 イエスを、キリストをタイトルにした著作が多い。哲学を学び、フランスの修道院に入り、帰国してのち日本のカトリック教会の司祭として務めた後、著述を営み多くの愛される本を綴った。
 今回は「思索のあと」という副題と共に、ハードカバーの中で、自らの魂の遍歴を語るという恰好をとった。ゆったりとした自然描写を重ねながら、大阪の街で過ごした幼い日々のことを、夕焼け空の向こうにあるものに憧れつつ、その自分を後ろから支え見守ってくれる名指しを求めていた、と述懐している。
 どうして哲学を学ぶようになったか、哲学のどこに惹かれ、どのように受け止めてきたのか、それも詳しく語る。内容が哲学のかなり立ち入った話にもなるので、ベルグソンという、一時期流行した思想家についての話がいまの読者にどのくらい親しく感じられるかは分からない。私は偶々関心をもった一人であったので、ここは持ち堪えた。
 だが、日本文かについても造詣が深く、古典文学から民俗学者の見解など、教養溢れる文化人の話すことには、ただただうっとりと眺めるほかはなく、そこには実に豊かな味わいがある。
 キリスト教との出会いがあり、小さき花のテレジアとの決定的な出会いがあり、フランスの修道院へと運命が一気に走る。カルメル会に入ったのはそのためである。しかしそのフランスで多くの労苦があり、様々な体験をすることになる。そこで学んだこと、修道生活の中でこそ得られたものなどを顧みながら、帰国するときのごちゃごちゃした事情などもよく語ってくださっている。
 聖書の様々な箇所を開きながら、著者は、日本にキリスト教を伝えるにあたり何が大切なのだろうかということを、哲学者よろしく、自分の見聞と理性と信仰とから、じっくり考え出す。誰かが言ったからそれに尻尾を振ってついていくようなことはしない。また自分の考えが唯一絶対のように威張りもしない。従来の権威に寄り縋ることもなく、世界を見つめ、日本を見つめ、福音というものはどういうことか、聖書を辿りつつ、考えていく。なんとか言葉にしようとしていく。単に何か感じればよいというものではなく、それを言語化することによって、自分はもちろんだが、読者もまたそれを理解し、実行へと立ち上がれるように促しているように思えて仕方がなかった。
 遠藤周作との親交があり、その考えにも触れる。カトリック内部では非難をも浴びた遠藤周作の考えも、井上洋治氏は大いに敬意を表する。自分の道との重なりを感じると、その考えに棹さすようにして、自分の思いをさらに走らせていくのである。
 このようにして、本としても250頁を越えるし、イラストらしいものも見当たらないので、量としてもなかなか多いのだが、なにぶんその密度の濃い叙述は、じっくり腰を据えて読んでいくしかないことになる。しかしその分、様々な思想に触れ、文化の実例の花畑をも愉しむことになる。その一つひとつをここで挙げていくことはできない。また、挙げる必要もない。どなたもが、その手に取って、著者と共に旅を続けていけばよいのである。
 日本文化にはどうしても「無」という思想が入ってくる。これは一般的な聖書の世界の思想にとっては、神とはむしろ反対のものというようにしか考えられていない。無から有をという考えならよくあるし、無には空しいもの、どうかすると悪なるものとしてのイメージすら伴ってくる。しかし、どうも日本文化の「無」を尊重し、むしろ神のはたらく場としてはその「無」のような呼び方で示すほうが伝わりやすいのではないか、というような導きを、読者に対して投げかけてくるように見える。そこに、本の題名にあった「余白」というものがつながってくるのであろう。余白を感じとることで、初めて全体を感じとることへと進んでいくことになると考えるのである。その全体の中でこそ、自分はあるのであり、自分のすべきことが与えられるということに違いないのである。人を愛するということも、そこで初めて出来事となりうるものなのである。
 急に引用しても脈絡が分からないとよく分からないということは覚悟の上で、私の心に止まったひとつの段落を最後にご紹介することにしよう。
 かつて人生の哀しみにうちひしがれている人たちと共にパレスチナの土地を歩まれたイエスは、いまや神支配、神のデュナミスと一体化することによって、あらゆる時代のあらゆる文化の人々と共に、復活したキリストとして一緒に歩んでいかれることとなったのである。イエスのことばを受け入れることは、復活のキリストを受け入れることであり、神支配を受け入れることであり、永遠の生命に入ることなのである。イエスの十字架の死による「贖罪」とはそういう意味であろうと思う。(245頁)




Takapan
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