本

『やわらかい砂のうえ』

ホンとの本

『やわらかい砂のうえ』
寺地はるな
祥伝社
\1500+
2020.7.

 最初は金色だった。この文で始まる小説は、この最初のシーンがあまりに情景的で、十分理解させるものを含んでいないままに始まるのであるが、今にして思えば、この文は計算されたものだったような気がしてならない。
 駒田万智子は、24歳。名前もやや古めかしいようにも聞こえるが、その性分も、今風ではない。堅い考え方をもっており、間違ったことに対してはどうしても抵抗がある。
 鳥取から大阪の税理士事務所へやってきたのも、何かしら正しさについて納得できないことが郷里で起こったからであったが、正確が勇ましいなどというわけではない。むしろ自分の考えを抑えに抑えた形で世を歩いている。どこか頑固でもあるが、決して悪い考えをもっているのではない。
 この人物設定が、ともすればありがちな、新しいタイプの若者を描いたものとはひと味違うなと思わせる。どちらかと言えば古いタイプだ。真面目で、真面目すぎて、不器用だ。いまの時代には天然記念物級の女性でもあり、いまなおキスすら経験がない。
 高校時代、特に親しかったわけではなかったが、大阪で再開した菊ちゃんという友だちが、心を吐露できる友人である。この友だちとの交流が、物語の、案外主軸を形成しているのかもしれない。
 実は開始早々、北浜の税理士事務所から書類を届けに行った上本町の会社が登場する。オーダーメイドのウェデイングドレスサロンである。そこにいた円城寺了子さんは、税理士事務所の本多先生よろしくかなりの年配なのだが、了子さんに気に入られて、万智子は週に何度かそちらでも仕事をすることになった。
 そこに出入りする結婚式場のスタッフの早田という青年に、万智子は惹かれる。だが、なんとなく男の人というものが怖い気持ちが先立ち、それでいて、そのさりげない優しさを好ましく思う自分を意識してきた。ただ、薬指の指輪が万智子を止める。この人を好きになっては「いけない」のだ。
 しかし、それはダミーであることが分かり、心の距離は近づいていく。
 この早田という青年は、必ずしもかっこよくは描かれてはいない。二人は近づいていくのだが、万智子はなんとなく惹かれる一方、早田の言動の中に解せないものも感じていく。男性としては優しい部類なのだが、万智子という人格を認めていないのではないか。そうした自分をも認めてほしい。「愛玩動物」だという言い争いから、別れてしまう。
 他方万智子は、菊ちゃんとの間にも溝ができる。どこか「正しい」生き方というものですべてを計ろうとする万智子の態度に、菊ちゃんは壁を感じていたのだ。菊ちゃんは、不倫関係をもっていたからだ。
 サロンにいる何人かの女性ともフランクに万智子は話をし、ひとをまるごと受け容れることの必要さを学ぶ。欠点があり、気に入らないところがあっても、それもその人、そういう人として受け容れることが人間の交わりなのだと諭すが、万智子はその考えを気にしながらも、まだ十分納得して自分のものとはできない。
 税理士事務所の本多先生と、了子さんとは、実は昔結婚寸前までいった関係があった。近年偶然再会したのだが、そこで関係がどうなるというものはない。本多先生はその後家庭をもち、了子は独身を通した。その結婚を反対した本多先生の母親がいま危篤である。しかし母親は、了子がウェデイングドレスサロンにいることを知っていたので、死に装束として自分のためにドレスを作ってほしいと頼むことになる。そして、ドレスが完成してすぐ、母親は亡くなる。
 菊ちゃんが妊娠していること、早田と再会して、言うなれば和解すること、そんなことが、万智子の目の前で次々と起こるが、万智子は徐々に、受け容れることを体験していくことになる。それは十分答えが分かったというものではないが、じわじわと人生を知っていくというふうにも見えた。
 同窓会で故郷に帰ったとき、菊ちゃんは他の仲間たちからも気遣われるが、万智子は「大丈夫」だと宣言する。菊ちゃんは、自分を分かってもらえたと心からうれしかった。そして二人して、大阪に帰るまでのひととき、鳥取の砂丘を歩く。これが、やわらかな砂であった。
 万智子は菊ちゃんに説明する。「わたし、なにかが正しいとか、自分はこうするとかっていう方針はぜったい持っておかないといけないものだと思ってた。今も思ってる」「でも、それはただ自分が歩くための靴なんだよね。他人を殴るために使っちゃいけないんだって、バスの中で考えてた」
 こうして、万智子は早田のことを、これまでとは違う意味で理解したいと思うようになった。そして「やわらかい砂の上に、一歩踏み出す」のであった。
 珍しく、ストーリーをばらしてしまった。これをぜひ原文で味わってほしいからである。その証拠に、ラストシーンだけは何も触れずに残しておく。爽やかな感動が待っていることを約束する。
 そして作者は最後に、「謝辞」として短い文章を記しているが、それはドレスサロンの取材に関してのものだった。そこにあった一文を、私もまた敬意を表しつつ、引用する。
 「美しくなる」ということは、他の誰かのようになることを目指すのではなく、自分が自分のまま世界と向き合う力を得ることなのだと、この取材を通して知りました。




Takapan
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