本

『いつも心にヤジロベエ』

ホンとの本

『いつも心にヤジロベエ』
刀根万里子
主婦の友社
\1262+
1997.1.

 刀根万里子さんが偶然検索に引っかかり、本があるのかと驚いて、すぐに図書館で探してもらった。いや、刀根麻里子と当時は書いていた。アニメのキャッツ・アイのテーマソングで名が知られるようになった、美人シンガー。これを懐かしいなどと口にすると、年齢が分かりそうなものだ。
 教育関係の講演もしているらしい。まことに本書も、教育の本の棚にぜひ入れておきたいくらいのよいものだ。小学生が読めるタイプの小説である。
 少しばかり家庭に問題のある中で育つ少年リク。宇宙飛行士になる夢をもち、学校でも明るい。しかし、あるとき苗字が変わることを告げられる。担任の三井先生は、陽気に生徒たちに語りかけるタイプだから、深刻に扱わない。ただ細心の注意をもって、リクが傷つかないように配慮を怠らない。いい先生だ。
 女の子が転校してくる。車椅子を使うという。この子にも三井先生はナイスなフォローをするが、リクはその様子に気づいていた。女の子が何かヘンだと母親に告げるが、ヘンではないのだと母は諭す。そしてリクは、その女の子に声をかけ、女の子へのクラスの皆の態度も変わっていく。
 やがて物語は、参観日の作文発表となる。5人が代表して自分の作文を読む。その中には、あの女の子も含まれていて、リクは最後を務める。
 それぞれの作文には、ひとを思いやること、いじめがよくないことなど、まるで教科書のようなすばらしい教えがこめられていた。三井先生は、それぞれの中から何を学ぶかまとめまで行う。
 こうして、なんだかすっかり道徳の教科書のような立派なお話となっている。困難や盛り上がりがあるようには思えないが、小学生が図書館で読むのにはとてもすぐれた内容である。文学的な価値があるというよりも、道徳的に安心できる内容だということである。その意味で、できすぎているのは否めないし、それぞれの作文には子どもらしいリアルさは全くなく、教科書に載って然るべきであるような出来であり、表現もうますぎる。だから、そういう点に目くじらを立てるタイプの人には、つくりものだという印象しかもてないかもしれない。しかし、読んでいて目頭が熱くなる。感動してしまう。これは何なのだろう。
 ヤジロベエというタイトルは、読み上げられる作文のひとつの内容から、三井先生が例話のように持ち出すものに因んでいる。物語全体を象徴しているのは分かるが、そこでのみ登場するのがやや取って付けたような印象を免れないし、逆にいえばそこが本書のテーマであるという理解も可能だろう。「もの」をシンボルに使うならこれしかないが、もし「もの」でなくてもよいのなら、また何か違ったタイトルが可能であったかもしれない。
 悪人や困った子ちゃんも登場しないし、ヘンな大人も出てこない。善良な、安心できる物語であるというのは、作品としては欠点かもしれないが、安心して読ませられる本だとも言えるし、その路線を通したことは、それはそれで意義があるだろうと思う。
 刀根万里子さん自身、いじめられた経験があり、どこか淋しさを覚えつつ小学生時代を過ごしていたと言い、ここでの登場人物は、著者の経験したことを分散してあてはめているようなところがあるのだという。そのあたりのリアリティがあるとも言えるし、それを美しくまとめあげたところは、児童文学作家としての腕というふうに思えるかもしれない。
 命あるものを大切にすること、思いやり、無関心の怖さ、夢をもつこと、感謝の心などを、5人は表していたと、先生がまとめる。これも立派すぎるが、「今日の日を忘れずにいよう」という先生の言葉は、このことを読者たる子どもたちも決して忘れないでほしいという、作者の願いを示しているに違いない。
 読んだ後、笑顔になれる本というものが、案外近年ないような気がする。フワフワ浮かんでいる空想に浸るリクが物語の最初と最後を飾るが、このフワフワが最後には畳みかけられ、クラスの皆がフワフワ浮かんでいる情景で終わる。淋しかった子ども時代の思いが反映しているというこの物語の中に、冷たい地面ではないものが相応しかったのかもしれない。美しい文章で綴られたおとぎ話は、ここから子どもたちが、そして大人もまた、実現させるように努めなければならない。その課題が、残されているに違いない。




Takapan
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