本

『新敬語「マジヤバイっす」』

ホンとの本

『新敬語「マジヤバイっす」』
中村桃子
白澤社
2200\+
2020.3.

 副題に「社会言語学の視点から」とあり、また大学より研究費も出た上での出版というから、いたって真面目な、学術的方法に基づいて調査されたものである。それにしては表紙もとっつきやすいし、手に取られる可能性が高いかもしれないのはよいことだ。
 扱う言葉はただひとつ。著者が「ス対」と呼ぶ使い方で、文末に「っす」を付けるものの言い方である。
 いつしか現れ、耳障りだなどと思っていたオトナたちも、やがてこれがCMなどを通じてあたりまえのように耳にするようになってくると、さして抵抗もなく、そういうものだと受け止めて受け流していくようになる。但し、これが会社で若い社員が使うとなると、時と場合によっては差し支えることもあるし、とくに顧客に対して失礼な言い方となるならば、使わせてはならないという段階ではあるだろう。それでも、社内で内輪に使われるとなると、上司としては鼻持ちならない気持ちにさせられることが多いかもしれない。
 大学生などでも当たり前のように使われるのであるが、これがどうも、一種の敬語であるという意識で使われているらしいというところに、著者は言語の専門家から適切に気づいた。ならば、使う側が悪い意図で用いているわけではない。
 では世間的に、オトナたちはこれをどう感じているのだろうか。それも自分の思い込みではなく、世の中の意見を集めることになる。そのとき、ツイートなどを見るのもひとつだが、収集がつかないのも事実である。そこで、讀賣新聞の「発言小町」という書き込みに限定して取り組むことにしている。女性向けのコーナーとも見られるので、偏りはあるかもしれないが、一定の範囲に絞ることで、データの価値はひとつ高まる。
 また、学生の会話をただ自然な場で録音しておき、そこから言葉の使われ方を探るという方法も使う。こうして集められたデータは、やはり偏りはあるかもしれないが、一定の評価につながることは確かだ。
 著者は「○○ことば」の調査をよく行っている。その手法を、いま「っす」に向けたというだけなのだが、この言葉についてまとまった研究がなされたという話は確かに聞かないわけで、その意味でもユニークな試みであると言えるだろう。そもそもいつから使われ始めたか、男子が使うものなのか、いや近年女子が使っているではないか、こうした観察と指摘から、当初オトナたちが、失礼な言い方だと感じている現状を踏まえつつも、必ずしも抑え込むためではなく、言語の使用が社会構造や意識によりものであること、変化をそこから感じることが可能であるというふうに、ゆったりと捉えていくことになる。
 こういう調査では、この「っす」のルーツというものがどうしても探られなければならない。著者は、1954年の新聞連載の「サザエさん」にそれを見いだす。しかしそれはいわば職人言葉であった。それが1966年の「フジ三太郎」になると、敬意を表現していると思しき使用例が見いだされる。こちらは「いいスよ」と、「っ」がない。この例が特殊なのではない。この半世紀、確かにこのような使用例はずいぶんとあったのだ。
 途中、関西人でもないのに、ある場面で関西風な言葉を使う人の例や、ヒップホップで元来その言葉を使うのではない立場の人がそれらしく「ニセモノ」を使う例などが持ち出され、そのように「ス体」にも、ひとつのスタイルとして誰もが使うようになる要素が潜んでいるのではないかと問いかける。ひとつの面白さを醸し出すものとして、いろいろな人が使うようになってきたのではないかというのである。
 この傾向は、CMで使われることによって休息に増大する。さらに、それが女性も普通に用いるようになっていく様子が最後に検討される。一定の年齢層から下になると、もはや女性特有の言い回しとされた「だわ」や「かしら」は死語となっているというのだ。それは、女性を男性との関係の中で位置付けないありかたとも関連しているのではないか、と著者は考える。こうして、言葉の顕著な使用例は、私たちのどこか無意識的なあり方をも表し、あるいは考えさせるテーマとなりうる。「ス体」について一定の判決をするような本ではなかったが、自分を、あるいは誰かを表現する私たちのあり方を顧みるための一つのヒントになることだけは確かに教えてくれた。もう一つ踏み込んで戴きたかったが、今回はこのくらいで仕方のないところだったと言えるのだろう。
 言葉は、ひとの思考そのものの表現である。もっとこの「ス体」ひとつとっても、人間の関係構造の理解に役立つものであることを知るものであるし、著者の言及しなかった点についても、いろいろと言えそうなことはあるように思われる。学問とすると遠巻きに見てしまいそうなところを、その学問的手法は一定のあり方で踏まえた上で、人々に親しみやすくした功績は、確かにある本であったと言えるだろうか。




Takapan
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