本

『キリスト者の戦い』

ホンとの本

『キリスト者の戦い』
D・M・ロイドジョンズ
村瀬俊夫・後藤公子訳
いのちのことば社
\2100
1982.11

 これは「エペソ6:10〜13」の講解書である。説教で語られたもののうち、いくつかを抜粋して編集してある。このエペソ書の箇所では、主にあって大能の力により強められること、悪魔の策略に立ち向かうために神の武具を身につけること、暗闇の世界の支配者たちや悪霊たちと私たちは格闘するということ、だから神の武具を身につけておるように、と命じられている。
 悪魔という存在に対して生温い対応をしていると骨抜きにされる。それをここではまず取り上げる。悪魔の企みに目を光らせている必要があるのだ、という知恵。
 その悪魔の策略は、人間の間に戦争すら起こさせる。しかし、私たちは神にあって勝利する。もう勝利は決まっている。この勝利は、神より与えられる賜物のゆえでもある。いや、信仰だろうか。聖書に耳を傾け、そこからのメッセージを受ける。これを外していくと、異端となってしまうだろう。
 注意するのは、プロテスタント教会に時折見られることなのだが、カトリック教会を悪魔の手先のように取り扱っていることである。それはそれで一つの解釈なのだが、カトリックをそれだけ追い詰めることができるのであれば、自分自身もまた、きつく詰め寄られることは必至である。パウロの並べた「愛」のことを考えてみるとよい。
 分派や偽物についても、詳しくよく説明してあると思う。それが現実の団体であると明言している場合、問題は残るかもしれない。いずれにせよ、ここに私たちは、目を覚ましているように促されている。悪魔に骨抜きにされないように、神の武具であることを自覚して、祈り強くさせて戴きたいものである。
 読みやすい訳で、このシリーズは実に面白い。信仰書は、可能ならできるだけ安価に出回るとよいのだが、部数の発行計算が決まってくるのも対応しきれない部分である。私たちは聖書を知るために、こうした知恵をお借りしよう。それはよい学びとなるであろう。
 クリスチャンは、日々聖書に訊くことを求められている。時折こうしたよい信仰書に触れ、新たな視点を得ることは忘れないようにしたいものである。




Takapan
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