本

『作家の日記を読む 日本人の戦争』

ホンとの本

『作家の日記を読む 日本人の戦争』
ドナルド・キーン
角地幸男訳
文藝春秋
\1799
2009.7

 日本文学や日本文化に詳しいドナルド・キーン氏は有名である。
 今回、第二次世界大戦のときに時期を絞り、日本の作家たちの日記を取り上げている。
 今のブログもそういう背景から来ているのかもしれないが、日本人は戦時中も多くの日記を書いているという。機密が漏れる可能性を考えて日記を制限したアメリカ兵とは違い、日本兵は日記を奨励されていたとも言われる。日記を見ることで、忠誠度を計るという目的があってのことらしい。
 日記文学の伝統の影響もあるのだろうか。だが、この本はそうした問題を論じるのではない。日記も多々あるだろうが、作家の日記であるから、言いたいことが正確に記されているであろうこと。その作家の立場や考え方が公的に分かっているから、日記の文章の真意も推し量りやすいこと。そうは言っても、当時の昂揚した世情の中、あるいは意気消沈した生活の中で、作家が戦争というものを果たしてどのように捉えているのか、味わわなければ見えてこない部分もあろうこと。こうした点も含めて、作家の戦争観をむき出しにした日記を拾い出して考察したという具合である。
 踊らされている、というどころのものではなく、真底日本を神国と拝し、下されるままの説明を受けとっていた文学者たちの姿が浮き彫りになる。だがまた、永井荷風はひと味違い、覚めた目で見つめている。フランス文学との交わりの深い荷風であるがゆえに、また違った視点を持ち得たのかもしれない。もし検閲などあれば命取りになりかねない言葉をも、遺していたのだろうか。あるいは、文学的レトリックを多用して、一見そのようには見えないものの、技法の分かる人には、政府や軍隊を非難しているのが分かるというような隠し方をしていたのだろうか。それもあることだろう。
 だんだん戦局が怪しくなるにつれ、それぞれの作家の日記も変化してくる。さらに戦後となると、また変わる。戦後一年間ほどで区切るとしているが、その後の変遷にも興味が出てくるはずだ。読者はしかし、それを戦後社会の考え方からまた見直し、作家たちも苦悩しつつ転向するかのように変わっていったのだという有様を知ることができるような思いである。
 それでもなお、荷風の日記でも、戦後本人が編集してその公開目的の日記であるがゆえに、表現を換えているというところが見受けられる。他の作家でも、戦時中の忌まわしい思い出は消し去りたいと思うことがあったことだろう。まして、自分が実際に筆を執って戦争を賛美しているような証拠は、遺したくなかったというケースが多いのだろう。ドナルド・キーン氏は、最後にそうした点にも触れている。遺族の方々にしても、その作家が戦争に味方していたというような文書を公開されたり、わざわざそこだけ取り出してこの本に載せられたりするのは、忍びがたいものがあるかもしれないが、それに対しては詫びつつ、個人非難をするためではないことを改めて強調している。
 これは必要な試みであると思う。ともすれば、現実の部分を隠して着飾った文書だけで歴史としている場合があるのだが、人間はこういう思想をとっていたのだ、という歴然たる部分を見せてもらい、知っておいたほうが、私たちにとっては断然よいに決まっている。私たちの身の回りにある怪しい雰囲気が、実はどういう予兆であるのかを判断する材料にさえなるかもしれないからである。
 私たちの見ているこの社会の、どこに問題が潜んでいるのかということにも、知恵を与えてくれるかもしれないのである。




Takapan
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