本

『世界哲学史 別巻』

ホンとの本

『世界哲学史 別巻』
伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留
ちくま新書
\1150+
2020.12.

 2020年は、哲学の年となる。そう企画し、1月から毎月一冊ずつ、夏までこのシリーズを出版し続ける予定にしていた。いや、実際に出版した。
 だが、その中途に、新型コロナウイルス感染症の拡大という、予期しない事態が生じた。出版に関する交流にも変化が強いられたが、予定通り夏までに8冊の「世界哲学史」が刊行された。それは、哲学といえば西洋哲学史に限定されていた常識、少なくともそれに偏っていたと言わざるをえなかった常識に抵抗し、哲学は世界にあるべきものと見なしてきた営みであった。
 インドや中国、アフリカにも、そしてもちろんイスラムにはかなり配慮して目を配ることを怠らず、また日本の思想も視野に入れながら、古代から現代までを、新書という枠の故に駆け足でありながら、よき案内を実現してきたものと評価できるだろう。だが、それでもなお、全体として見渡せば、西洋が軸になっていることは否めなかった。また、見直してみれば、間に埋めるべきものを通り過ぎてきたことを指摘されても仕方がないようなありさまだった、そんな反省も芽生えてきた。
 そのため、補遺のごとく、隙間を埋めるように、また時代に限定されず言及がなされるような視点により、もう一度世界哲学史という理念について問い直す機会をもつためにも、総括的な「別巻」が必要とされたのであった。これは最終巻出版のときに予告されていたので、楽しみにしていた。
 ここでは、三分の一を費やして、編集者の対談がなされている。巻の一つひとつを辿りながら、検討をしている点が面白い。それぞれの巻の達成できたこと、課題などが挙げられ、さらに後からでこそ見直せることや全体との関係などに言及される。時に、編集における裏話のようなものも聞かれる。もちろん、世界哲学史という理念を幾度も掲げ、それの実現のためにどうすべきだったか、何ができたか、というところを語るのが一番大切なこの内容であるだろう。
 その後は「辺境」というキーワードから、そもそもその「辺境」の概念から、辺境としての哲学が説かれる。また、日本の哲学について、見渡しつつの総括がなされるのは、日本人にとって必要な検討であることは間違いない。
 それから世界哲学ということそのものが反省され、また触れそこねた部分について補うかのように語られる。そこにあってデカルトの『情念論』であるが、私はそれを最近読んだところだったので、頷きながら楽しく読むことができた。その他ここには、インドやイスラムという比較的メジャーなところから、ロシア、イタリアなど、ふだん突っ込んで論じられない話題が満載であった。後者は特に興味深かった。モンゴルなど、やはりなかなか出てこない哲学の分野でもあるから、この最後のパレードは案外、本書、あるいは本シリーズの目玉となるのではないだろうかと思われた。
 最後に正義論で締められたが、各章に置かれたわずかな参考文献の中で、つい読みたいと思い直ちに買ってしまうものがあったので、その場で注文してしまったというあたり、読者の心を動かすものが確かにあった。私が引っかかっただけなのかもしれないが。
 早く読み終わりたいような、そしていつまでも読み終わりたくないような、楽しいシリーズだった。しかしその後また別の本を見ているうちに、最初は読み飛ばすようにしてた本シリーズの内容が、改めて読むと深く納得するというようなこともあったので、これから何かと、まずこのシリーズを開いてみて、それから他のことを調べてみる、というコースが、私の定番となるかもしれないようにも思った。
 この本には、人名索引だけは掲載されている。だが、全巻にわたり、人名や項目について、また著作も含めて、細かな索引というものはできないだろうか。プラトン全集などでも、索引だけの巻がある。世界哲学史が本当に活用されるためには、優れた索引のみの一冊が刊行されてもよいのではないか、と私は密かに期待しているのだが、さて、編集者のお目に留まることが、あるかしら。




Takapan
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