本

『世界の猫の民話』

ホンとの本

『世界の猫の民話』
日本民話の会・外国民話研究会編訳
三弥井書店
\2300+
2010.2.

 図書館で見つけて、すぐに借りた。犬編もあるようだが、猫だけでいい。世界から拾ってきているので、旧約聖書に猫が出てこないことや、エジプトでの崇拝のことなども、「はじめに」で紹介している。ネズミが、伝染病に関して、また農作物に対して、人間に害を及ぼすことから、猫が人間生活に関わってきた、とも考えられるという。そこでまた、神からの贈り物として考えることもあったが、犬よりも野性的であることなどから、人間に飼い馴らされることなく、独自の世界をもっていることも、古くから気づかれていた。また、キリスト教文化の中で、猫に悪魔性を付せられることもあったという。ずいぶんと気味の悪い話が、各地に残っている。他方、アジアでは猫というよりも、虎が民話の重要なキャラクターとなっていることが多い。
 猫に関する世界の民話を、章立てして、類似したパターン毎に集めている。神話的なもの、魔法にまつわるものなどが挙げられ、虎にまつわるものも集められた箇所がある。さらに、悪魔としての猫のことばかりの章もあれは、他の動物たちと猫との関係を描くものもある。
 但し、その「はじめに」では、エジプト近辺の話を含めることができなかった、と残念がっている。
 さて、そのエジプトは抜けたが、アジア各地もよくあるし、アフリカからも出典がある。ロシアやその周辺のものも、案外多い。こうした国毎の案内が、巻末にある。どういう資料に基づいているのか、ということらしく、原語の本のタイトルが並んでいるため、正直ちょっと解せない文字もある。だが、アジア関係でも、アルファベットに置き換えたものがよく見ればあるので、限られた資料ではあるが、注意深く調べることは可能かもしれない。キリル文字関係も多い。
 その索引そのものは、本文を読み終わった後で私は気づいたが、めくっている中で、ウクライナの話があるのを見つけた。ロシアとの戦争の中に、これを綴っている現在もある国だが、たぶんそれがなければ、大きくクローズアップされることもなかったかもしれない。本書がウクライナの民話も取り上げているのは、よく目を光らせていたことの証拠であるとも言えるだろう。
 ただ、私はその国の名に気づかず、お話の方を先に読んでいた。そして、それで「ん?」と思って改めて国の表示を見たら、ウクライナだった、ということで驚いたのだった。
 ある家で猫が死に、ネズミどもは喜んだ。だが、家主は新しい猫を飼った。この猫、ネズミに対して実に残虐な猫で、ネズミたちはピンチを感じた。そこで、ネズミたちは話し合う。どうしたら逃げられるか。いいことがある、とちっこいネズミが言う。猫の首に鈴をつけるといい。――お分かりだろう。ネズミたちはこの語も災難に遭い続けることになるのだが、有名な話ではないか。それで、「ん?」と思ったのである。
 このように、どこかで聞いたような話の元になっている物が、時折ある。他方、全く知らないものがもちろん数多い。また、興味深い展開をもつものもあれば、お話としてもあまり魅力のない、面白くないものも中にはある。
 せっかく世界中の資料を調べ、日本語に訳したのだ。面白い話ではないが、もったいないから載せておこう。そのように、編者が考えたのかどうか、私は知らない。そう考えたかもしれない、とは思う。だが、もし編者の気に入った話ばかり集めていたら、本としてはパワーのあるものとなったかもしれないが、果たしてそれでよかったと言えるだろうか。私は、日本人にとりあまり面白くない内容の民話であっても、それがその世界の文化においては、きっと面白いと受け取られるであろう、というところを重視したいと思う。つまり、そこに面白さや魅力を感じるのが、そこでの文化なのである。私たちが聞き慣れたような展開や、オチなどを求めるのではなく、その文化がもしプツンと話が折れるように終わるのが好みであるというのなら、それを知る良いチャンスではないか、と思うのだ。
 つまり、猫好きが喜ぶ愉快な本をつくろうとしたのではなく、世界各地の文化を知る機会を与える道を、こうして拓いてくれた、というように私は捉えている。ありがたいことだと思う。確かに「民話」というのは、そういうものであるはずだ。いまの時代に受けるような変化を勝手につけて紹介するのは、一種の改竄でもあり、かつての文化に対する冒涜である、とも言えるだろう。
 そうなると、聖書というのは、どうやって形成されてきたのか、私の考察の道が、また新たに与えられたような気がしてきた。




Takapan
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