本

『なぜ世界は存在しないのか』

ホンとの本

『なぜ世界は存在しないのか』
マルクス・ガブリエル
清水一浩訳
講談社選書メチエ666
\1850+
2018.1.

 2013年以来世界的に話題に上った本が邦訳された。若いドイツの哲学者である。制度的なものはよく知らないが、若くしてあるポストに就いた点ではドイツ随一であるという。
 近代ドイツ哲学に詳しく、また20世紀の哲学もよく理解している。というより、その20世紀の哲学に対してひとつの批判的な眼差しを向け、その呪縛から逃れ、新しい現実を生きていこうとする意欲に溢れているのが本書である。
 それは「新しい実在論」と訳されている。世界に満ちた「意味」の確かさとそこからもたらされる希望への入口を、かつての哲学が塞いでしまったことから解放しようとする、瑞々しさに満ちている印象を受けた。
 それにしても、タイトルがうまい。これが必ずしも奇を衒った看板だけのものでなく、この本の主たる議論が、「世界は存在しない」を軸に展開していることを思うと、相応しいタイトルであったかもしれない。ドイツ語の原題も同様である。ただ、ドイツ語ではこの「存在する」が「es gibt」で表されている。通例そういう言い方をするのであるが、これは何かしら指し示すことはしない「それ」が「与える」という言い回しである。日本語なら、適切とは言えないだろうが、「所与」のような語が思い浮かぶ。世界を何者かが与えるのでないのは何故か、というような書き方がされているわけである。そこが少しばかり意味深長であるように私は穿った見方さえする。しかしそれはたぶんドイツ語だけの問題なのだろう。
 著者は、世界は存在しないという命題について検討することはしているが、いくぶん簡素であるかもしれない。途中からは、世界は存在しないというテーゼを前提として、自然科学・宗教・芸術と幅広く現象を読み解いていく。そこに、著者の「味」が出ているのは確かだろう。そこには個性が感じられた。
 ところでこの「世界」であるが、ハイデガーにしても、あれほど「存在」には執拗にしがみついた人が、「世界」についてどれほどのこだわりをもっていたかというと、確かに怪しいような気がする。初期ではあろうが、ハイデガーは「es weltet」と、「世界」を動詞のように用いて、存在への問いを形作っている。その師の唱えた「生活世界」にまつわるのか、また「周囲世界」であったり自分の世界であったりするのか、いずれにしても存在を問うために関わっているばかりであるように感じるのは、私の単なる無知のせいであるのではないかと思うが、世界について問うのは、私は良い問いであるのではないかと感じた。
 存在を問い、言語を問うた前世紀であったが、改めて私たちが何の気なしに思い描いているような「世界」概念を問うという営みに目を向けさせてくれる本書の問いかけを大切にしてみたい。全体を意味する世界というものは、宇宙のすべてを記述するかのような無謀な試みであるのは確かだろう。そして私は、そこに自分がいないかのように見なす近代的人間の過ちは、大いに反省しなければならないであろうと思う。もちろん「世界内存在」という自らを見出すことは前世紀から問い直されているが、ではその「世界」とは何かというと、大いに検討すべき事柄ではないかと感じたのだ。
 私たちはいまコンピュータ・ネットワークの中にいて、ひとつのディスプレイという窓を通して、地球上の多くの場所にアクセスできる。その先には制度的に国家があり国家の壁があったけれども、ネット社会は国家の枠にあまり関わらずつながることを可能にした。国家的な関係の中での「世界」ももちろんある。本書でも前半で盛んに言われたように、宇宙全体を包括する意味での「世界」も思い描くであろう。もしかすると民族がその人にとっての「世界」である場合もあるかもしれず、同じ政党の者だけが「世界」であり、異世界の敵と感情をぶつけ合うばかりの議員があるかもしれない。教室という「世界」になじめず、単独の「世界」をすべてとして生きていきたいと思う子どもがいるであろうことも想像できる。
 著者は、そのような「世界」のことを述べているわけではなく、全体としての世界を問うているのであるが、「世界」そのものに執着するのでなく、意味を問う人生に喜びを見出す道を提唱して、これからの時代に「新しい実在」を踏みしめていきたいものだと呼びかけているように見える。この提言で、ほんとうに前世紀の哲学が乗り越えられたのかどうかは疑問であるが、私たちはもっともっと、共同幻想的に思い込んでいる前提というものがありそうな気がする。それの相違により、実は争いが絶えないのだとも言えそうだ。
 奇妙な観念論や言葉尻だけのごまかしではなく、確かな現実を生きていくことは、確かに腰を据えてかからなければならない、早急の課題であるのかもしれない。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります