本

『なぜ、猫とつきあうのか』

ホンとの本

『なぜ、猫とつきあうのか』
吉本隆明
講談社学術文庫2365
\820+
2016.5.

 あの、吉本隆明である。私がなんとか読めたのは『共同幻想論』くらいだ。あとは、『現代思想』で田川健三と対話をしているのくらいだろうか。娘さんの吉本ばななの作品は少し味わった。
 晩年は特に、猫に対する並々ならぬ思いを懐いていたということについて、私は知らなかった。さして個人的に追究しようとしていなかったからだろう。
 最初にある猫の系図がいい。猫らしいイラストと共に、吉本家の猫の家系図が示されている。これが、本文を読むときに非常によかった。ただなんとなく名前が出てくるだけではなく、それらの猫の関係や世代が、視覚的に整理できるというのは、認識構造を明確にするのにたいへん役立つのである。
 取材する人がいて、ポイントを落とした文字で印刷されている。それが、うまく吉本隆明の答えを促している様子がよく分かる。こちらは文庫本の普通のポイントである。
 猫への思いの熱さは、やはり同じところに幾度も戻ってきて、堂々巡りのように語るのでよく伝わってくる。猫は死を覚ると身を隠すという。これは私も聞いたことがある。人知れず、どこかに消えて、ひっそりと消息を絶つのだ。自分の死を、関わった人には決して見せないというポリシーなのだろうか、などと昔から案じられていた。吉本隆明氏も、子どもの頃からそうした思いでいたのだが、あるとき目の前で死んだ猫がいた。それが強烈な印象となって、ある意味で人生観を変えたようなところがあった。このことが、この小さな本のインタビューの中で、幾度か語られているのである。
 インタビューとはいえ、これは6年間以上にわたってなされたものをつないである。確かに、自分の中の大切な視点というものは、幾度となく登場するものであろう。しかし、このとき吉本隆明はまだ60代。結局87歳で没するので、死が直近にある感覚はなさそうである。だが、この猫の死という問題が、けっこう大きな位置を占めているように感じられた。否、60代は、やはりそういうことをどうしても考える年代であったのだろう。
 ただ、そのことばかりが描かれている訳ではない。猫を飼っている者だからこそ知ること、言えること、その手触りから心の通い合いまで、よくぞここまでというほどに、たらたらと語っているのである。敢えて言うならば、非常にデレデレと話を垂れ流している。むしろインタビューをした方がなかなか的確な話題の振り方や尋ね方を、よくぞしてくれたのだと思う。巧い。それで、猫についてだらだら話を、ああでもないこうでもないとしてくれたということなのだと思う。
 まとまった、猫についての知識を提供するつもりはない。だが、時に世相と絡ませ、文学や思想と巧みに競い合うかのように、猫について語る。これだけ語ってもまだ語り足りないかのように、猫猫猫と話が続く。話題が尽きないのは、インタビュアーの技かもしれないが、それにしても、猫からブレずにここまで話をしてくれたものだと感心する。
 猫について言われていることも、本当ですか、などと訊かれると、実に正直に答える。それは嘘ですよ、とか、そうなんです、とか、大袈裟に演技ぶって答えたような気はしない。少し笑みを浮かべては、そうかもしれないですなぁ、でもそういえば……というような、しみじみとした返答が現れるのである。
 時折、畑正憲さんの話が登場した。当時やはり動物ものとしては、随一の存在であったのかもしれない。本気で動物と暮らしていた畑正憲さんは、ものすごく学力が高い。私はその青春期を読んで感動した。吉本隆明氏は専ら猫であるが、動物を真摯に見つめる眼差しは、畑正憲さんと共通するところがあるのだし、学ぶ気持ちがあったのかもしれない。但し、その映画「子猫物語」に対しては手厳しかった。つくりごとであることを見抜いていたのだ。この映画については、様々な疑惑が出されており、多分現在であれば、このような撮影はできないだろうと思われる。当時は、それを虐待だと見なす社会風土がなかったのだ。吉本隆明氏にしても、そこまで重くは見つめていないと思うが、正面切って猫と向き合って生きている作家としては、ただただ目の前の猫との関係こそが大切であったのではないだろうか。もはやそこには、批評家としての批評の力を向ける必要もないくらい、猫と生きていたのではないだろうか。
 最後に、吉本ばなな氏が、吉本家の猫のことについて少しく語り、また、父の晩年の姿を垣間見せてくれている。特に後者は、ごく短い叙述なのであるが、死の香りの漂うような、切ない文章であった。そして、猫の死についての話でもあるのだから、猫が死ぬときには姿を消す、という本書のひとつのモットーによって、すべてが締め括られているということになる。
 ところで、「なぜ、猫とつきあうのか」、このタイトルの問いの答えは、はて、どこにあっただろうか。




Takapan
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