本

『なぜ人はキスをするのか』

ホンとの本

『なぜ人はキスをするのか』
シェリル・カーシェンバウム
沼尻由起子訳
河出書房新社
\2100
2011.4.

 なんとも刺激的なタイトルである。だが、この類書に、コンドームやヴァギナの本もあるから、それに比べると、まだ電車の中でも読むことができる程度のタイトルである。いつもながら、わざわざこのような疑問文にするのは、昨今の流行なのだろうが、私は個人的に好きではない。原文のタイトルは英語で示してあり、意味をとると、「キスの科学」となり、サブタイトルは「唇が教えてくれるもの」といったところであろうか。しかし日本の書店でこのタイトルが並んでいても、地味であるかもしれない。それで、問いかけ形式で、見た人の注意を無意識に向けさせる試みをするというのだろう。問いかけられると、とにもかくにもまず答えようという心の働きが起こるからだ。
 それにしても、悩ましいタイトルである。しかも、著者の写真が魅力的だ。美しく若い女性であるからだ。しかし海洋生物学などの理学修士を取得し、科学誌『サイエンス』や『ニューズウィーク』誌へもいろいろ寄稿している、科学ジャーナリストである。それが、「キス」である。しかも、科学的に。
 しかし、誰もが経験をする(であろう)ことでありつつ、これまでそのメカニズムについて、まともに調査したものがあっただろうか、と思わせることであるには違いない。キスとは何か。なぜするのか。その意味では日本語のタイトルは、問題の核心を突いている。子孫を残すためには必要性のないことであるのだ。そして、人間以外の動物がするかというと、この本が類人猿のひとつに見出しているものの、実際殆ど見られない習慣であることは確かだろう。
 だから、考えてみれば、実に不思議なことなのだ。そして、これまでめったにまともに研究されていなかった事柄なのである。もちろん、キスについての、文学的な言及ならば掃いて捨てるほどある。文学作品にも事欠かないが、映像文化から芽生えてからは映画の中のキスを指摘するだけで、無数の資料が選ばれることであろう。
 けれどもまた、それは西欧から広まった習慣であるようにも見受けられている。そもそもキスをしない民族もあるのだという。では日本はどうか。この本は、日本への深い興味から生まれた本ではないから、それが調べられているわけではない。だが、たとえば江戸時代あたりの春画にもあるはずだし、「口吸い」などと呼ばれたテクニックがあったことは確かである。遊郭に関しては文献資料も確実に残っているのである。
 著者は、科学者である。ジャーナリストである。つまり、心理的・美的要因を無視はしないが、事象として明確な証拠を以て語ろうとする傾向がある。しかも、真実をただ見出そうという学者の論文ではなく、読者を引きこみ、楽しませてくれる要素ももっている。この本の魅力はそういう、学的でありながらまた読んで面白いと言えるところであろう。
 内容は、全3部。まず、キスの起源について。歴史的文化的な探求が始まる。次に、キスしているときの身体が様々な角度から切り取られる。当然、男女差は大きな関心となる。互いの「匂い」という要素が大きく関わっていることが、実験調査により明らかとなってくる。その理論も展開する。もとより、完全に科学的で実証的かと言われたら、甘さはある。科学的根拠を交えながらも、それだけで厳密化しようとするよりは、読者の関心に応える、魅力的なものを目ざそうとしているようである。ホルモンの働きにまでメスは入るが、そのとき衛生的な問題にもきっちり頁を割いている。そして最後に、キスの魔力と題された項目があり、果たしてその時脳はどう反応しているのか、未来のどこかバーチャル的な可能性についても想像の羽を伸ばす。しかしまた、乙女心を満足させるためにか、恋人の心をつかむキスについての言及があり、最後にこのキスの研究そのものがこれからどう展開していくだろうかという見解が示される。それには、この本で実現できなかったが魅力あるテーマや課題も挙げられる。
 とはいえ、恋人の心をつかむキスというのは、どこか週刊誌的でありながら、最も関心を寄せてしかるべき部分ではなかろうか。そこには何が描いてるか。まるでネタバレのようではあるが、簡潔に挙げてみよう。「強みをアピールする・味と匂いをよくする・互いに理解し合う・期待感を抱く・落ち着ける場所・身体へのタッチ・自分の身体を信じる・チャンスを台無しにしないこと・最高のキスをする人になる・たびたびキスをする」の10項目である。
 キスの科学は、今始まったばかりである。この本は、まだどこかロマンチックである。科学的には緩さすら感じられる。脚光を浴びたこの問題が、真剣に研究する多くの弟子を呼び起こし、未解決の問題が解決するようになる将来が楽しみである。その意味では、この本は、キスの科学のフロンティアであったと言われるようになるかもしれない。
 しかし、キスなるもの、ハートで感じ、また夢あるもののままに置いておきたい気が、しないでもない。だからこそ、手つかずで残っていたのかもしれない。
 最近、キスをしましたか?




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります