本

『なぜアーチストは生きづらいのか?』

ホンとの本

『なぜアーチストは生きづらいのか?』
手島将彦・本田秀夫
リットーミュージック
\1500+
2016.4.

 サブタイトルは「個性的すぎる才能の活かし方」。帯を見れば本書の意図や主軸となる考えは伝わるが、タイトルやサブタイトルからでは十分伝わらない。その点が、販売戦略なのか、それとも損をすることになるのか、ビジネスの素人としての私は判断できない。
 というのは、これは精神医学を含んだもの、いや精神医学の観点から見た芸術家の一面を語るからである。
 医学的な本と呼ぶのには抵抗がある。ただ、中には奇怪な行動をとる音楽家がいて、その背後にあるものを知ろうという試みであるとすれば納得がいく。
 そもそも、ひとかどの才能のある人物には、性格的な偏りがあったり、何かしら突出した部分があって然るべきなのかもしれないが、それが近年、一定の精神医学的な判断により説明できるようになってきている。あるいは、時代が説明したくなってきている。この本は、弱くそれを4つのカテゴリーに分けて説明する。これが帯に記してあるのだが、うつ病予備軍タイプ・ADHDタイプ・自己愛タイプ・自閉症スペクトラムタイプの4つである。これで十分かどうか私には判断できないが、芸術家によく見られる傾向をそれなりに振り分けているように見える。
 あまり学的あるいは症例的に正確に述べようというものではないが、読み物として、読者に一定の心構えを与えることには成功していると言えるだろう。奇妙な行動だとして人格的に非難したり偏見をもったりすることから守られるという意味だ。話が通じない人もいる。言ったことが誤解されてまともに意図が通じないということもある。ただここにある例を踏まえて、たしかにこちらが言った言葉の表面上はそのように言っているのだから、文字通りに受け止めればそれもありうるのだという認識を、私たちはする必要があるのだ。つまり、通常の言語活動というものは、言葉の意味通りの意図で発話してはいない面が確かにある。私たちはことのほか、アンティフラシスというレトリックを多用しているのだ。「やめてしまえ」と怒鳴ったところ本当に相手がやめてしまった、などというのは、「言ったほうが困惑する。しかし確かに言ってしまったことなのだ。通常、私たちは社会生活で、その言葉の意味が文字通りでないことを了解している。だが、そうとは受け取らないタイプの人もいるはずである。また、文字通りで良いのか悪いのか、判断に苦しむ場面は、誰でもありうることなのだ。
 しかしまた、読んでいるうちに、読者自身が、これは自分にあてはまることなのではないか、と思い始めることもあるかもしれない。いや、大いにありうることである。そもそも心が至って健康だというような人がいるのかどうかさえ怪しいわけだし、精神医学的見地からして何が病気で何がそうでないのか、境界線も数値的な明確さをもつわけではない。人のこころというものは、どうにでも動きうる。できれば、誰もが心の痛みや闇をもち、気の合う仲間だけが通じあって他を排除するというのではなく、様々なタイプの人が存在するし、存在してよいのだという前提からスタートして、接していけたらいいとは思う。
 ただ、暴力的な思想やそれを肯定する行動に出るケースは困るのは確かである。私たちの社会は、そのバランスをいつも誠実に考えている。本書では、アーティストという点から、少々一般から外れているような心の状態である場合でも、その才能を活かす道はいくらでもありうるのだということを、強調していると言えるだろう。その観点に特化して見る読み物として、たいへん読みやすく、一定の効果を読者に与えるという点で、面白い企画であったと考えられる。




Takapan
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