本

『誰でもいいから殺したかった!』

ホンとの本

『誰でもいいから殺したかった!』
碓井真史
KKベストセラーズ・ベスト新書193
\780
2008.9

 無差別殺傷事件が起こる。そう頻繁にではないのだが、その衝撃の大きさゆえに、それがしばしばであるような錯覚に陥る。また、そのたびに、容疑者の身辺が洗われ、様々なエピソードが紹介され、「心の闇」という一言でコーナーが閉じられるだけとなる。
 この新書は、「追い詰められた青少年の心理」というサブタイトルが付けられている。それは決して、容疑者を擁護するものではないのだが、その容疑者がたんに悪いのさ、と済ませようとする風潮からは一線を画している。そして、誰が悪いのかという犯人探しをしようとしない。あくまでも、心の弱さを抱える人々に寄り添うようにして、どうしたら罪を犯さなくて済むようになるのか、模索しているのである。
 失礼だが、著者名を見ずに私は読み始めた。そのまま引きこまれていったのだが、読みつつ、この著者はクリスチャンだと分かってきた。聖書の言葉がさりげなく引用されているばかりか、聖書の中で心を癒すというのはどういうことなのか、に関する考察が活かされた叙述に幾度か出会うのである。
 そうであった。名前を見て思い起こした。有名なクリスチャンのウェブサイトを運営している人である。社会的な事件が騒がれるたびに、その事件の背景や心理をいち早く解こうと努力を重ねてきた。心の弱さをもつ人の気持ちに立つ対応をするために、その関係の人にはとくに有名で、たいへんな数のアクセスがあるのだという。
 その人の本なのだった。それなら、すべて不思議な思いは消える。
 必ずしも、論理一辺倒で論じるつもりでもない。ただの臨床例だけの紹介で終わるつもりもない。もちろん、犯人探しを目的としているのでもない。また、ただ弱い心の心理状態を暴くことで満足しているのでもない。精神疾患も最低限掲げるだけで、とりたててそのどれかに人を押し込もうとしているわけでもない。
 最終章は「犯罪者をつくらないために」と題され、多くの頁が割かれている。できるなら、誰にも罪を犯させたくないのだ。またそれは、市民が安心できる社会の実現にもつながる。誰かを強要してそれを実現しようというのでもないし、誰にも無関心になっていてよいとも思うものでもない。著者の姿勢には、やはりイエスの愛が感じられてならない。いや、たしかにその愛による動機から始められ、続けられている運動なのである。
 愛されることの大切さ。愛されているという実感の実に大切であること。それは、幼子の状態からできることでもあり、成人してから後の子どもに対してもできることでもある。
 私から見ると、聖書の生きた実践のテキストであるかのようにすら見える。しかし、聖書に強い関心がない方でも、もちろん安心して読むことができる。何も聖書を信じさせようとしているのでもないからだ。ただ、こうした癒しを、数多くイエスが二千年前にやっていたことは間違いない。当時の人はそれを、悪霊を追い出すという表現で伝えている。何をオカルト趣味な、と思われるかもしれないが、私たちが何か病名をつけて対処しているのも、実はさして違いがあるわけでもない。
 事件の描写には、読むだけで辛い場面も数多くあるけれども、こんなにもそれぞれの立場にある人のことを愛することが可能なのか、と驚くほどに、著者は愛する心で貫かれた文章の書き方をしている。読者として、私たちも、それを受け継ぎたいものである。




Takapan
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