本

『チーズはどこへ消えた?』

ホンとの本

『チーズはどこへ消えた?』
スペンサー・ジョンソン
門田美鈴訳
扶桑社
\838+
2000.11.

 ベストセラーと呼ばれる本があるが、皆が一斉に動き出すと、どうにも私などは手に取る気持ちがなくなることが多い。ほんとうにそれだけの価値がある本なのかどうか疑う癖がついている。案の定、しばしばそれは、一時だけのブームで終わり、読み継がれることがなくなる場合が多い。
 するとその本の行方はどうなるか、というと、古書店に回ることになる。古書店としても、そういう意味での流通は熟知している。あまりに売れた本が、ブームが去って一斉に買い取りに列をなしたとしても、すべてを受け容れるわけにはゆかないだろう。皆が飽きて売りに来た程度のものなら、それを世間に買いませんかと迫っても、知っているよで終わる。商売にならないばかりか、棚を無駄に占領して商売の妨害すらすることになる。また、下手に処分しようとすると、その分処理費もかかることになる。
 ベストセラーというものは、一時的にやたらと出回るが故に、商品としては厄介なものとなる。健康食品がテレビて紹介されて急に店頭で品薄になるのと少し似ている。
 さて、前置きが長いが、この『チーズはどこへ消えた?』もまた、たいへん売れた本である。薄い本なので割高に感じるのではないかと思いきや、すぐに読めて読みやすいということで、売れに売れたのである。発行部数は360万部を越えたという。薄い本であり、繰り返し読むように指示されているにも拘らず、そう何度も味わう人は稀ではないかと思われ、結局は廃棄されるか、古書店に換金されることとなる。だが、店も店であり、需要と供給の関係から、高額で買取るというつもりもない。売る方も価格的には期待できないということになる。
 ようやく内容らしいところ入ってきた。
 二人の小人と二匹のネズミが登場する物語。消えたチーズのことを、いつまでもくよくよ考えているか、それとも探しに出かけるか。それぞれの性格により、行動が違ってくる。それにより、未来も変わってくる、というだけの単純なストーリーだ。
 だが、これを聞く人は、自分がどのタイプであるか、キャラクターに重ね合わせようとする。
 テーマを読み誤ることはない。物語だけがここにあり、寓喩を施しているのではなく、シチュエーションの中で解説がなされていく。それは、かつてのクラスメートたちが集ったときに、人生は思うようにならないものだ、というため息混じりの言葉に対して、マイケルが、変化に対処することについての面白い物語を聞いたんだ、と言い、仲間にその物語を語り聞かせる。そのようにして、このチーズの話は、劇中劇のようにして、物語の中で語られる物語となっている。そしてそれを聞いての後日談がまとめられていき、その変化の対応について意識改革が人生の好転につながっていったと証しを語り合う、という物語で終わっている。めでたしめでたしであろうし、事はいかにも単純である。物語としての文学性などは微塵もなく、くどいくらいの成功談と改革するべきところを追及する説教書のようなものとなっていて、口のうまいセールスマンのような語り口であるとも言える。  そう、どうしてこれが売れたかというと、そのビジネスのための啓発書としてであろう。もちろん、人生論として役立つからであるが、元来はビジネスである。物語の設定もそのようになっているし、作者自身それを意図している。いわば、ビジネスの世界ではひとつの当然の教訓のようなもの、朝礼挿話のようなものと言えばそれまでなのだ。
 それがどうして何百万部と売れた巨大ビジネスとなったのか。それがアメリカの書店、ないし扶桑社の技だったのかもしれない。だとすれは、勘ぐるというのでもないのだが、この本をこれほど売りまくった出版社のやり方こそが、読者の一番知りたいところなのであって、たんにその手のひらの上で踊らされているかのようにして、「そうだ、変化に対応するといいんだ」などと喜んでいるばかりであったら、本当のチーズは手に入るまい。
 たしかに、出版社もまた、つねに新しい視点で売れる本を出そうと意気込んでいることだろう。だから、出版社自身も変化に対応していく心がまえでいなければなるまい。しかしそれとは逆に、このチーズの売れ行きに便乗してか、そっくりなタイトルの本が雨後の筍のように次々と現れたのも事実である。二番煎じでも実入りが多いのである。それもまた「変化」なのだろうか。成功者のやり方をパクり、真似して利益を少しでも挙げようとすることさえ変化だというのならば、それもまたこの本の成果なのだろうか。
 ただ、だからオリジナルだ、独創だ、ともがきがちである人々を尻目に、自分の意識を変えるように仕向けるのは、ひとつの慧眼であったかもしれない。だからこそ、それに目を開かれた思いで積極的に新たな地平に向かって進みゆくビジネスマンを生み出し、この本の主張に支持が与えられていったのだとも言える。
 だから、本書の内容に文句があろうはずがないのだが、抽象的なものの言い方であるだけに、読者はいかようにもそれを、利用することができたというからくりもあるだろう。そしてそういうときにまた陥りやすい問題として、その抽象的な方針でさえ、絶対のものではないわけだから、それを金科玉条のように掲げてすべてをその原理に従わせるような機会的な扱い方をしてはならない、ということも確かであろう。
 チーズという喩えは、なるほど心に残る。そうした扱い方も、うまいとは思う。牧師の説教もそのような良さを心得ている人のものは、聴きやすく、心に留まる。スポルジョンもそういうのが実にうまい。そこはうんと見習いたいとも思った。




Takapan
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