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『「利他」とは何か』

ホンとの本

『「利他」とは何か』
伊藤亜紗編・中島岳志・若松英輔・國分功一郎・磯崎憲一郎
集英社新書
\840

 勢いのある5人の論客が語る、というよりも、これはプロジェクトのひとつの成果である。東京工業大学の人文社会系の研究拠点「未来の人類研究センター」のメンバーの共同研究を世に問うものなのである。その中で「利他」をテーマとして議論を重ねている、そこで培われた各人の考えが提示されている。これは、センターという組織が公式にまとめた見解ではなく、議論に触発された、あるいは議論の中で各自が掲げた、「利他」という事柄についての考えを、それぞれに、それぞれの立場から語ったものである。
 しょせん個人的意見なのか、などと言うべきではない。様々な視点を提供してくれることを、感謝しなくてはならない。
 編集代表は伊藤亜紗氏。美学という専門領域から、障害者の感覚を探究すると共に、人間の身体や認識能力など、実に興味深い問題に挑み、私は大好きである。「はじめに」に、伊藤氏が、本書の内容を的確に要約している。実は「おわりに」でも、執筆者の一人中島氏が、同様に各論者の見解をまとめている。こうした「まとめ」を繰り返す本は珍しい。それだけに、本書のエッセンスを確実に読者に伝えたいという思いが伝わってくるような気がする。
 それをここでただ並べても仕方がないのだが、私たちはその5人の考えのあまりの違いに戸惑わないようにしたいと思う。人はその立っているところがそれぞれに違う。となれば、そこから見える景色も違うし、各人にとっての「他者」も異なる。その上で、「利他」という概念を考察するのであれば、実に多様な見解が生まれて当然なのである。
 ひとは、他者の存在によってこそ自己が意識できるともいう。コロナ禍の中で浮かび上がったかもしれないこの喫緊の問題は、他者に対して何ができるかと問うものだが、それは当然、自分がどうするか、さらに言えば、自分がどう変わるか、というところを中核とするものであろう。また、そのときに、相手のために何かをしてやっているんだぞ、という心理は、どうしても入り込みやすいものである。ボランティアをしても、売名行為だ、などという悪口が飛び交うことがある。それが一部にないとは言えないにしても、ボランティアをやりもしない者が、おそらく純粋に奉仕する人を傷つけるというような事態は、私は感情的と言われようが好まない。だがその境界はどこにあるのだろう。私たちは問うてもよい。
 個人的には、本書の中央に、國分功一郎氏が書いているものに注目した。それは、伊藤氏に次いでこの人の著作を読んでいるからでもあるが、その「中動態」についての考えが、実に簡潔にまとめられているからである。その『中動態の世界』が要約されており、さらにそれに続く「当事者」思想へのつながりが、ここに凝縮されている。「意志」概念の新しさと共に、「責任」概念の発生とそれへのアプローチを、私たちに示唆してくれているのだが、私もこの問題が現代の極めて重要な問題だと考えている。これを思い違うことにより、歴史は違う方向に暴走してしまうかもしれない、と懸念するからである。
 伊藤氏が最初に断っているように、本書は結論ではない。せいぜい「考えるべき問題を机の上に並べた」という段階にすぎない、というその言葉に嘘はないだろう。しかし、「問題を並べる」ということこそが、哲学の粋であると私は信じる。解決をしてしまうことではない。良質の問題を提示することができたら、それは人類のためにこよなく役立つ業績となるに違いないのである。その意味では、本書は小さな新書に過ぎないが、いや、だからこそ多くの人に手軽に手にとってもらえるということのために、大きな仕事となりうるものではないかと考えている。「出発点」であり「思考の「種」」にすぎない、と言って「はじめに」を結んでいるが、そんな「すぎない」ということはない。ぜひ、心ある方々に、読んで、考えはじめて戴きたい。それを切に願う。




Takapan
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