本

『あなたは何を見るか』

ホンとの本

『あなたは何を見るか』
井田泉
かんよう出版
\1800+
2019.12.

 エレミヤ書講話。私はエレミヤ書を愛する。預言者の中でも特徴のある性格の存在だと思う。このエレミヤ書を中心として、小説仕立てにしたこともある。旧約聖書のエレミヤ書自体は、時間的秩序が大混乱しており、章の構成が時間とは全く関係がないようになっている。エレミヤの経験を再構成するためには、研究を参考にしながらかなり落ち着いた対応を取らねばならない。このエレミヤは、ある意味で冷たく淡々と敵の滅亡やイスラエルの堕落を綴った他の預言者と異なり、感情も露わに、しかも神とサシで向き合って論じ合い単純には従わないなど、実に人間味があり、また現実的でもある。預言を外したことも堂々と描かれている。この社会で憎まれ命を狙われ逃げまどい、最期もぼかしてはあるが、預言をまともに聞いてくれない社会に囲まれて意に添わぬ旅路に出て行くことになる。
 このエレミヤについて「講話」だというから、中身を直接見ずに注文して届けてもらった。
 結果だが、私は落胆した。
 エレミヤ書を扱っているのは分かるが、幾つかの場面を、長々と引用する。改行がさかんになされるので、相当な頁が引用だけで使われている。そして再びその箇所を細かく分けて引用し直して、そこにはこういうことが書いてある、と触れていく。言っては悪いが、その聖書にある言葉を殆ど繰り返して、「〜だというのである」くらいにまとめた解説が多すぎる。全く、殆どのスペースが、ただの聖書の引用と、それと殆ど同義の繰り返しでしかない解説めいたもので潰されていくのである。
 もちろん、それだけではない。ところどころ、いいことも書いてある。だがそれは、聖書研究に基づくようなものではなく、まさに「講話」でしかない。タイトルからしてそれで偽りはないのだが、礼拝説教でそこを開いたら、「ここから私たちは〜のようにしたいとまなぶわけです」とコメントするであろうようなことが、そのまま付け加えられている、という印象である。
 だから、エレミヤ書に馴染みがなく、どんな本なのかな、と思う人にはよい案内となるだろうが、それ以上のものではない。また、このエレミヤ書には新しい契約という概念があり、それはもちろん旧約の中での出来事であるのだが、本書では、それがそのままイエス・キリストの福音を表している、と主張しており、さかんに新約聖書が持ち出される。強引な引きつけであるように思われることが多いが、新約聖書との関連で理解したいという人にも、面白いかもしれない。
 ただ、それは礼拝説教で語るような内容である。牧師の礼拝でのメッセージとして、エレミヤ書に関連してイエス・キリストの救いを語ろうとするものであるならば、問題はないと思われる。だが、聖書の探究として、これはこうですよ、と語るわけにはゆかない。この辺りが、気をつけたいところである。エレミヤ書はイエス・キリストの福音を語っているよ、と言い切ることはできないというようなことを弁えて楽しみたいものである。
 日本聖公会の京都復活教会における聖書研究会の録音から生まれた本だという。だとすれば、ここまで私が感じてきたことも、そうだろうと言わざるを得ない。また、著者が告白しているが、教会運営などの多忙からか、うつ病を煩い、そこから回復した頃の研究会だったそうである。自身の回復のために慰めや励みになったエレミヤ書について、感謝をこめて語りたいような思いに満たされていたのかもしれない。それはそれでいい。教会でのまったりした聖書についての「講話」を聞きたい方にはお薦めできる。ただ私は、同じ著者の別の本を、当初読もうかと思っていたのを、取りやめるに至った。それもまた、仕方がないことだろうと思う。




Takapan
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