本

『学校ってなんだ!』

ホンとの本

『学校ってなんだ!』
工藤勇一・鴻上尚史
講談社現代新書2628
\900+
2021.8.

 2021年1月に対談が実現した、その模様を収めた、対談集。工藤勇一さんは、山形生まれの教育者。公職経験もあるが、なんといっても『学校の「当たり前」をやめた。生徒も教師も変わる!公立名門中学校長の改革』が強烈であった。麹町中学校の校長に赴任して、宿題と定期テストを廃止するなど、マスコミの注目も浴びたのだ。もちろん目立ちたいがためではない。それぞれに根拠がある。校長の権限が絶大である学校組織の中でこそ成り立ったことだが、それまで「あたりまえ」だと思われていた様々なことに疑問符を打ち、問い直すことによって、教育界に風穴を開けたのだ。  その工藤先生に、SNS絡みでモーションをかけたのが、鴻上尚史。こちらはマスコミに対してはより近い立場にあり、劇作家であり演出家でもある。かつてオールナイトニッポンも担当していたことがあり、演劇に斬新なものをもたらしている。劇団を育む中で、この工藤先生の教育論と実践に、他人事ならぬものを感じたのだと思う。
 その通り、本書は専ら教育をフィールドとして展開していく話を収めただけなのだが、劇団のこともパラレルに扱う中で、一読者としての私も、なるほど教室と舞台とは十分比較する価値のあるものがあるのだと目覚めさせられたような気がした。  対談と言いながらも、冒頭には鴻上さんのモノローグで窓が開き、巻末には工藤先生のモノローグでまとめられる。いい構成だ。
 良い子として育っていたばかりに、先生を信頼できなくなった時、すべてが疑問の色に染まってしまう。話題はしばらく、校則問題に絞られる。工藤先生が実際に校則をなくしていくにあたっての秘訣が明らかにされていたのは大きい。職員会議で、教諭たちの賛同など、当然得られないわけだ。誰もが、つまり教師さえもが、生徒と同じように、従来の枠の中でしか考えられないようになっているからだ。どうすれば意識改革ができるのか。工藤先生は策を練る。生徒の問題行動の実例をたくさん羅列する。そこに優先順位をつけていくのだ。すると、生命を脅かすような問題行動は、優先上位に必ずなる。その他、法に触れることもいけない。こうして考えると、服装だのなんだのといった校則違反は、次第にどうでもよいことになっていってしまうというのだ。
 教育界には、その政治的な働きも含めて熟知している工藤先生である。これを鴻上さんが上手に促して聞き出していくのか、流石である。朝の挨拶運動など、時間外労働に過ぎないことや、部活動がボランティアに過ぎないことなどが、次々に白日の下にさらされていく。
 こうして校則と教師の立場の問題をえぐった後、話題は日本の学校の問題を大きく捉えることに移る。自己肯定感の低い日本の子どもたち。世間を気にして、その枠の中に収まろうとする空気。これはまさに、日本の社会の縮図である。そう、大人がやっているようにしか、子どもたちは育たない。
 ところがここに、面白い指摘があった。30人以下の集団の中では、面白いことを言う子はそれなりの存在価値を与えられるのだが、それより多い人数になると、そういう子は全体を阻害する邪魔もの扱いになっていくというのだ。これは経験則なのだろうが、言われてみれば私もよく分かる。学習塾というところは、この30人より多いクラスと少ないクラスとがある。確かに、指摘された通りなのだと思う。
 学校はしばしば「自立」を校訓に掲げるなどして、自立した人間を育てるなどという。だが、やっていることはおよそそれと正反対のことなのだ、と本書はずばずば指摘する。そう、その「自立」とは何か、という問題について、私たちに多くの反省をさせる場となっているのである。麹町中学校で実際になされたこととそれの行方などを紹介するのは、いくつかの著書でもうやっていたことなのだろうが、この対談の中で明らかにされると、時に劇団や社会への適用が的確になされているように見え、説得力も増してくるというものだ。
 みんな同じでよいのか。だがひとり違うことをするのには勇気が要る。ひとと違う意見を言うこともままならない。だから、みんな同じでいるほうが気が楽だ。最後の章は、「対話」というテーマに絞られていく。対話は、意見の違いから生まれる。だが、意見が同じでいたほうが平和だという中では、自分のもつ意見を押し殺さなければならない。かといってそれを出せば、対立が生じる。面倒だ。大人もまた、きっとそう思っているし、そのように行動している。対話は、面倒くさいのだ。だから避けたいのだ。
 考え方が違うのは当然である。だが、そこで少しメタ的な視点があるとよい。一見対立しているそれぞれの考えであるが、何かしら「共通項」があるはずである。政治的な対立があったとしても、どちらの党も「平和」を求めている、といった背景があるのである。その「共通」な部分を確認して、そのためにでは何ができるか、何をしたらよいのか、何を優先すればよいのか、そんなところから、対話が生まれるかもしれない。その共通項は、もしかすると、より上位の目的として尊重されなければならないことなのだろうか。それを見上げて対話をする。決して、力のある者が一色に塗りつぶそうとするべきではない。また、自分はそんなに力があるわけではない、と思っていながらも、結局その力の手下として力を加えているようなことを、私たちは平気で行っているし、またそのことに気づかない。この構造に気づき、今まで通りでいいとか、これが当たり前だとか、そんな決めつけの下で、子どもたちを萎縮させて、また同じようなスピリットの持ち主の再生産ばかり繰り返さなくてもよいのではないか。そんなことを考えさせてくれる本だった。
 なお、本書のサブタイトルは「日本の教育はなぜ息苦しいのか」。
 教師と生徒の間の信頼が必要である。「信頼を失った教師が生徒たちにどんなに立派なことを述べたとしても、その言葉は生徒たち自身の価値観、生き方に響くことはほぼありません」(p262)と最後に工藤先生が何気なく言っているように見える箇所があった。私はここが強く心に響いた。教会の牧師は、この言葉の意味を考えてみるとよいはずだからだ。




Takapan
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