本

『天使とは何か』

ホンとの本

『天使とは何か』
岡田温司
中公新書2369
\780+
2016.3.

 図像学と言うとまた少し違うのかもしれないが、西洋美術について実に広範な知識を以て紹介してくれる著者である。この中公新書シリーズにも何冊かすでに連なっており、定評がある。
 様々な視点が必要である。このように聖書を題材にした論及がいくつもあるが、いつも思わされるのは、ただの信仰者が聖書を読んでいるだけでは気づかない、ある意味で思い込みで走りがなところを、別の文化的背景によっていとも簡単に説明してあるというのはありがたいということだ。今回も、ユダの死についての言及で、ギリシア神話の文化があると、何をイメージしてあのような聖書の記事が書かれているかということについて、なんだそういうことなのか、拍子抜けしてしまうようなところがあった。もちろん、それはたんに私の無知のなせる業に過ぎない。しかし、ユダの死が二種類聖書に記されていて、どうにも統一できないような表現であることについて、ある福音派の理解では、それらをどちらも真実そのものとしか言えない立場であるがゆえに、非常に込み入った情況を設定して、このような場合にどちらの言及も可能だ、などと苦しい説明が施されるのを見ていた。それが、記者が何を伝えたいかというときに、何十年も前のユダの死に方の細かなところを、そうそう確定的に断言できるわけもなく、何らかのギリシア文化のイメージを重ねて描いたということでも、なんら問題はないはずである。そういうことを学んだ。また、そういう情報を的確に私たちに伝えてくれる。こうした美術史から、事実として突きつけてくる文化的背景は、非常に参考になる。
 本のサブタイトルには、「キューピッド、キリスト、悪魔」と付いている。その他、実は聖人も解説が施され、讃美する天使の姿の背景にあるひとりの聖人が大きく取り上げられている。私のようにそういうことに疎い者には、たいへん面白い。
 本書は、もちろん中心は天使である。天使、それは何か。著者の見解は、やはり私をはっとさせる。人間は、天使的存在については、それが何であるかということははっきり知識を持たない一定しない理解なのではあるが、決して否定していないということだ。それどころか、センセーショナルな言い方かもしれないが、神は死んだかもしれないが、天使は死なない、と告げてくる。人間は、理屈の上で神は死んだなどとうそぶいているかもしれないが、天使については死んだとしていない、というのだ。なるほど、だからこの本があるわけだ。それは、キリスト教の範囲に制限されはしない。最初の章はキューピッドである。羽の生えた子どもの天使の図像はどのような歴史性を有しているのか。また、キリストが天使とどうやら重なって理解されていたふしがある、という次の章の指摘も面白い。
 こうしていろいろな人間精神の作ってきた文化の中で、天使の果たす役割を指摘し、あるいは天使というものの歴史を様々な美術作品から挙げてきた末に、近代人において天使とは何か、という根源的な問いを出して、この本は終わる。そこには、天使を取り上げた映画まで用いられる。ヒットした映画には、確かに、天使が人間の姿になって、というものがいくつもある。どれもが人々の心に触れ、涙と感動をもたらした。確かに、そこにこそ天使が天使である所以があるのだ。だから、天使は死なないのである。それで、神という形で人生を問うことができなくなったような現代人にも、人はどこから来て、どこにいて、どこに向かうのか、という問いを忘れ去ることはできず、天使という存在に託しているのかもしれない、と結ぶ。




Takapan
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