本

『ウェブ社会をどう生きるか』

ホンとの本

『ウェブ社会をどう生きるか』
西垣通
岩波新書1074
\735
2007.5

 岩波新書において、IT社会について、かねてからきっちりとした論評を伝えていた著者が、少しばかりマイナーな響きのある「ウェブ2.0」を真正面から据えて論じた。
 どこか哲学的なタイトルのようにも聞こえる。それがはたしてその通りであった。
 これは、重厚な思想の本である。決して、コンピュータ技術に少しばかり長じている人が読んでふむふむという代物ではない。
 本の最後に、この本で述べてきたことを10箇条にまとめているところも、実に親切であり、明晰にしていく上での工夫である。
 なにげなく、検索を私たちは利用する。だが、他人がどのようにこの検索を利用しているか、考えてみれば、殆ど知る由がない。誰もが、自分の検索の仕方が自分に一番合っている、とぐらいにしか考えていないのではないか。もしかすると、検索することによって、人生の大切な判断もそこで分かると考えて行っているような人も、少なからずいるのだろうか。検索をどのように利用するかという、主体の態度というものが明瞭でなければ、結局検索というものに振り回されているだけではないのか。
 私の、そんな予感は、決してたんなる杞憂ではないらしい。
 著者は、このコンピュータ技術の背景に、キリスト教的、一神教の影響を強く感じている。それをやみくもに否定したがるというわけではない。ただ、その性向を捉えて、どうしてITがこのような仕方になっているのか、背景を捕まえてみる必要があるというのだ。
 言語論が昨今流行していたが、記号論なりテクスト理論なり、それらの背景に、キリスト教の考え方が強固にそびえているというのである。さらに、それがアメリカにおいてコンピュータテクノロジーを花開かせたとするならば、そのアメリカの考え方の影響が大きい、という。それは、大きな格差を呼ぶ、アメリカンドリームのひずみというものも、同時に備え含んでいるものである。
 機械論に走ってきた私たち人間が、今その機械を生物概念とつなげようともがいている。機械情報でそれをとりしきってしまわないように、生命を尊重するものでありたい……。
 機械的な処理の中に、自閉症とのつながりを見出すなど、随所で、私たちの世界への様々な関与の仕方のヒントが提供される。人間がどうしても理想や理念というものを想定するとするのは、一神教の背景と深く関係するのだともいうし、たしかにそうした前提があるゆえに、西欧から見れば、日本という国が不可解で仕方がないのだろうということも、ますます分かるようになった。
 コンピュータに今向かい続けている人々も、表面的に知に関わり合い、思想的な基盤を自分のものとしてやっているのではないために、ある思想に流され、巻き込まれていくことも当然のことのように行われるだろう。そのような意味の警告が、この本には盛り込まれている。
 結局、「あまりよく考えないで」知識が増えたような錯覚だけ起こしているのが、一番危ないのかもしれない。この危険性については、私も同感である。
 だからまた、「どう生きるか」という問いそのものが、どうしても必要なのである。




Takapan
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