本

『WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE.』

ホンとの本

『WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE.』
佐渡島庸平
幻冬舎
\1500+
2018.5.

 これがタイトルでよいとは思うが、副題を見よう。「現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ」とある。分かりにくいが、本書の要はちゃんと伝えていると思う。
 講談社で、数々のマンガのヒット作を編集し、優れた漫画家を見出すことにも長けた著者は、その語独立して会社を立ち上げ、編集という仕事を日に日に進化させているのだという。
 宇宙兄弟の中での言葉だというから、タイトルはなるほどそういう世界へと導いてくれる言葉となっていると思うが、これは何も宇宙空間へ旅立たなければ感じることができないものではなく、現代の情報社会の中に置かれた私たちが、そういう状態にあると認識すべきではないのだろうか。著者は、誰もが孤独を覚えているという。しかしながら、その孤独は、ただ一人でいるしかない孤立とは違うのだという。その答えがこの本にあるわけではないが、模索しつつ、「コミュニティ」が必要であり、「コミュニティ」は形成できると考えているというのだ。仲間をつくれば孤独が癒せるなどというものではない。ネット社会でのつながりというのは、孤独を解消するものではない。だが、何か新たなコミュニティと呼べるようなつながりの中に生きていくことができるのではないか、否、そのようにつながっているものがないとしたら、ひとは生きていけないのではないか。
 非常に頭の良い人であるし、時代の空気を知る力ももっている。きっと誰よりも孤独を覚え、しかし誰よりも、仲間や関係というものの大切さを噛みしめている人でありそうな気がする。
 私たちは、間違いなくコミュニティを失いつつある。それは、近代になって自由を謳歌するときに、何かしら安全や安心といったものを手渡してしまったことに関係する。著者の脳裏には、この「自由と安心」の二律背反が蠢いている。この問いの建て方が適切であるかどうか、私には分からない。これを破るのに、「好き」ということでつながるコミュニティがその可能性をもっていると考えているというのである。
 資料としてのマンガの画面が少しだけ引用されているのを除けば、挿絵すらなく、ひたすら文字だけで、一方的なお喋りをしているのを聞くような本となっている。一つひとつの体験や発想を、丁寧に叙述していくので、素早く目を動かしても、それなりに読みやすい。考え方を細かく置いていってくれるので、そのあたりの書き方は確かにうまいと思う。思いつきのような流れの中でお喋りが続くので、果たしてどういう脈絡だったかと振り返るとよく分からない部分もあるが、喩えによる説明が巧みであるのは、確かに説明上手なのだろうという気もする。
 コミュニティに参加するとき、そのコミュニティが分かりやすいものであることは、自明であるかのようである。謎めいた組織に足を踏み入れるのは確かに勇気が要るし、近づかないかもしれない。しかし、組織そのものが謎というのでなく、これは何だろうと考えを起こすとき、実はコミュニティへの真の参加ができるのであり、成功するコミュニティのあり方として考えるときの鍵になるように言われているが、このとき、成功したコミュニティとして、著者はなんとキリスト教を突然に挙げる。
「一番、成功しているコミュニティは何か? と考えたときに、僕はキリスト教を思い浮かべた。聖書は、最も売れている本である。聖書がわかりやすいかというとそんなことはない。逆に、わかりにくくて何度も読まないといけない。物語性が高くないから、一気に読むことは逆に難しい。だからこそ、誰もがそれについて語る。自分なりに理解して、語り合うからこそ、理解が深まる。もしも、わかりやすければ、語り合いが起きない。わかりにくさとは参加するための余白ともいえる。」(p135)
 物語性が高くないかどうかはさておき、これだけの考察をあれこれとやり、また多くの情報について知りえている著者が、モデルとしてのコミュニティを聖書見出すというのは、私は驚きであった。そしてそれを「売れている」という観点で取り上げるというのも、たぶんビジネスの世界ではひとつの常識であるのかもしれない。自分なりに理解することができるのは、基本的にプロテスタントの方面なのだろうとは思うが、それを語り合う場の中で交流させるとき、互いに理解が深まっていくのだろうと捉えている。こう考えてくると、説教論につながっていくことができるかもしれない。教会というコミュニティをつなぎまとめていくためには、説教は必須のものだからだ。
 我々は孤独だが、一人ではない。
 そう、イエス・キリストが、そう声をかける。聖書がそうメッセージする。私があなたと共にいる、と約束した神は、人が孤独を覚えようとも、そしてある意味でその孤独性が、人間の本性を貫いていたとしても、霊により一つとされた教会を通じて、人々を決して一人にはさせない。本書とは関係がない点だが、このような意味で理解することも可能ではないかという気がする。




Takapan
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