本

『悪い言語哲学入門』

ホンとの本

『悪い言語哲学入門』
和泉悠
ちくま新書1634
\840+
2022.2.

 言語哲学を学ぼうとするつもりでない人にこそ、お薦めする。新書というあり方に相応しいとは思うのだが、これは、「悪口」とは何かを問うテーマの本である。これに関心がある人は、哲学だどうだと関係なく、お楽しみ戴けるだろうと思う。
 しかし、近年特に、ヘイトスピーチというものが問題視されている。また、誤解を招いて申し訳ない、といった全く詫びにはなっておらず、相手の責任にしてしまおうという、責任逃れの言葉も横行し、もはや怒りの対象にすらなくなってきている感もある。悪口というものを広く受け止めるならば、私たちの日常言語には、とてつもなく悪口がしっとりと寄り添っている。「もう、バカん」と言うのも、言葉としては悪口である。しかしそれが憎しみをこめているようには、私たちは聞かない。「あほやなあ」と相手に笑って言う言葉は、むしろ優しい。それが、言葉としては悪い言葉であるには違いない。この違いはどのようにして生まれるのだろうか。それは、ちっともヘイトでないと思っている当人の責任逃れを潰す知恵にもつながることだろう。政治家のごまかしを暴露する道も拓けてくるだろう。このテーマ、考えてみると実に面白く、そして有用である。
 議論は、論理的である。明晰である、と言ったほうがよいだろうか。曖昧なところはない。しかも、話の進め方に無理がなく、説明としても非常に巧いと感じた。つまりは、実に読みやすいのである。余りに読みやすくて、ひょっとすると安易に騙されているのではないか、と疑う人が現れるかもしれないと心配するほどである。だが安心めされ、悪い言葉は紹介しても、著者に悪意はない。
 悪口を分類してから取り掛かり、そこに意味の違いを見出そうとするならば、「意味」とは何かをまず問うておく。その理解についても、外在主義と内在主義とを分けておきつつ、機能を四つ明らかにするのである。
 続いて固有名の問題を扱い、クリプキやフレーゲ、ラッセルなどの名も飛び交うが、説明が丁寧なので、道に迷う心配は要らない。
 言語行為論も飛び出す。こうなると、やはり「言語哲学入門」であることは確かで、知らず識らずのうちに、その基本概念をしっかり経験していけるようになっている。なかなか巧妙な仕掛けでもある。
 悪口の内に数えることができるかもしれないが、「嘘」についても触れる。個人的には、この「嘘」というのは、深くて広い問題であるように思う。本書では、駆け抜けるひとつの部屋に過ぎないから常識的な範囲で扱っているが、これは「真理」概念の捉え方に始まり、心理的にも嘘をつける人間の特質には不思議なものがいくらでもあるし、自利のために嘘をつくのか、他利のために嘘をつくのか、も興味がある。また、どうして嘘は「つく」のか、日本語の由来についても、何かしら概念にまつわる問題が隠れているかもしれない。
 次は総称文。これは悪意ある表現へと直結する。しかも、ごまかしの利くとされている表現である。ここにはトランプ元アメリカ大統領の例が引かれているが、メキシコ人は……である、という偏見は、メキシコ人全員のことを述べているのではない、という言い訳が成り立つのであるが、恰もメキシコ人が皆そうであるかのように思わせるに足るものである。私たちの日常生活では、その辺りのことが互いに了解済みであるという中で交わされている。だが、主義主張などとして出てくるとき、上の例のような悪意を含めた効果と言い逃れを生み出すことがある。これは気をつけたい。しかし繰り返すが、私たちの日常言語はその了解の上に成り立っている。
 だとすれば、ヘイトの言葉というのは、言葉への信頼を破壊するものではないか、とも思えてくる。それは正に「嘘」のなすところでもあり、人間の信頼のないところで出てくるものこそが、悪口の最たるものということになるのであろうか。
 そのヘイトスピーチの話題で本書は幕を閉じ、悪口への最初の問いを思い返して、著者の考えがまとめとして示される。敢えて結論はここで明かさないことにするが、私たちが人を見下すところに大きな意味があるものとするべきであるのかもしれない。そこまで単純化できるかどうかは、まだ問い続けなければならない問題であろう。倫理的な問題を絡めることはよくないし、言語哲学という区切りに反することになるだろうが、私は人間と人間との信頼関係の問題と、想像力の欠如とを、そこに絡めて考えたいと思っている。悪口というと、悪魔を連想する人がいるかもしれないが、悪魔は、自分が悪をなしているということにすら気づかせないような、巧妙なすりかえをやってくる。著者もまた、必ずしも論理的な領域で片付けようとしているのではないと思うので、ここは分析だけに走らずに、人間を総合的に見る中で、考察する価値のある、大きな問いかけであるものと私は受け止めることにする。
 楽しい読書時間を与えてくれたことに感謝する。益々自分がこぼしてしまう悪意の現れというものについて、敏感にならねばならなぬと自戒する必要を覚える次第である。




Takapan
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