本
ホンとの本

『平和のための戦争論』
植木千可子
ちくま新書1111
\820+
2015.2.

 政治の時事的な景観を以て論ずるため、その時だけの新書として発売された、と見られるかもしれない。本書は2015年初めに出版されている。2014年7月、安倍内閣が集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をしたことを受けての平和論である。
 著者はかつての自民党内閣で安全保障と防衛に関するある委員を務め、防衛省の研究所などを経てこの時点で大学職員である。政治の現場と理論とを兼ね備えた視点と経験をもっており、またその専門は国際関係と安全保障という分野であろうと思われる。
 政治的判断は難しい。その道の専門家でないと、どの考えにも尤もらしいところがあり、ふむふむと肯いてしまいそうである。あるいは、たいして根拠のない自分の信念というものがあり、すべてはそれを支持する理論としてのみ認められるという見方をする人も少なくない。とにかくオレが儲かればよいのであり、あるいはオレの感情が満たされればよい、そういう乱暴な考えが政治を決めているというのは、さほどオーバーな表現でもない。自分は正しい、相手が悪い、という視点から離れられないのが、多くの人の感情なのだ。
 そのとき相手はどう思っているか。もっといえば、相手は自分の意見を聞いて、どういう反応を示すか。結果的にどうしても仲良くつきあっていかなければならないのだとすると、相手の反応レベルを予想した上で、こちらも意見を突きだしていかなければならない。相手の感情を刺激するようなことをわざわざすることはないのである。人づきあいの世界でも、そのくらいのことは弁えているのがおとなである。少なくともケンカをしなくてすむように、一定の我慢をしながら、あるいはまた相手にも我慢してもらうようにもっていけたらと画策する。
 このように、自分はこうしたいが、それを見て相手はどう反応するか、そこの視点を味わわせてくれるのが、おそらく本書である。誰しも、自分が正しいと思っている。万一自分に非があると気づいていても、そこを許してもらって自分にも生きる権利を与えてほしいと願うものだろう。国どうしのつきあいにおいても、国どうしの意見交換においても、そのような姿勢で臨むべきだとするのである。
 分析は冷静である。戦争をしたいと国が思うのはどういうときか。戦争を回避したいのが本音ではないのか。しかしどこそこがどのように同盟を結ぶと、相手はどのように判断するだろうか。こちらがおとなしくしていることを、却って気味悪がって武装をしてくるという反応があるかもしれないし、こちらが威圧的になれば黙るというものでなく、ますます頑なになるという心理もあるだろう。国際関係はさらに、それぞれの国の背景や歴史、かつての関係や経済的利益の流れなどを含めて、複雑な要素がある。ファクターはいくらでもあり、それらを計算してどれが得策かを、各国はどのように考えていくだろうかというシミュレーションも必要である。だがまた、シミュレーションのままに事が進むとも限らない。まことに厄介であるが、そこへきて、この集団的自衛権をどの国がどう捉えるかということも、比較的分かりやすく解説されているように思われる。
 数年単位で世界情勢は変わる。国際関係も変化する。中国と日本との間の関係も、ひとまとめにはできない。何年の何を境にしてどう動いたか、それをよくまとめてあるという気もする。自分がかつて抱いた感情や、昔の報道を参考にしていると、私たちも判断を誤る。いまどうなっているのか、それはいつのどの時からなのか。これが、ニュースを毎日見ていても、毎日の動きはミクロすぎて流れが分からない。大きな流れを感じつつ、しかし日々の動きをその中に位置づけて理解するというのは、やはり政治学者でなければ難しい。素人の国民には困難である。しかし都合の悪いことに、その理解困難な国民が、政治家を選び、国の運命を委ねるという構造になっている。もしかすると私たちは、民主主義という偶像に安易に全幅の信頼を寄せている危険な境遇にあるのではないだろうか。そのように疑うこともできるであろう。
 出版から二年を過ぎて私はこれを読んだ。大枠としては、世界情勢が大きく変わったものではないだろうと思えないこともない。だが、北朝鮮の動きが2017年の中では活発であるのと、アメリカ大統領がすっかり変わってしまったことは、実は大きな変化であり、大きく舵取りが変わったことを意味すると言えるかもしれない。新書というままでは難しいかもしれないが、著者にはこの国際協調の路線を論じてもらいつつ、また新たな情勢から読み解く解説をしてほしいものだ。軍備や戦争について、冷静な分析のできる人が、正しく事態を捉える必要がある現状だからである。




Takapan
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