本

『「若者の読書離れ」というウソ』

ホンとの本

『「若者の読書離れ」というウソ』
飯田一史
平凡社新書1030
\980+
2023.6.

 本の内容に則した、そして一目を惹くであろう、良いタイトルである。サブタイトルは「中高生はどのくらい、どんな本を読んでいるのか」とし、「若者」という概念が、中高生を視野に展開されることが補足されている。これで看板にも偽りがなくなるであろう。
 主張は分かりやすく伝えられていると思う。
 マスコミのせいだと決めることもできないだろう。一般社会がそのようによく口にするのだ。いまの若者は本を読まなくなった、と。著者は法を学び、経営の方面へ走っている。大学に足場をもつのではなく、出版やウェブ方面でのこうした読み物についての取材や調査を重ねて、執筆活動をしているとのこと。本書は、まさにその掌中にある真っ向からの勝負ということになろうか。
 本書は、データを活用している。出版業界の示すデータや、世論調査など、いわば「客観的」データを活用している。なるほど、経営やマーケティングの手法だと言えるだろう。そして、予め断ってあるが、実際に中高生と面会するなどして、「生の声」を取材して本書の主張を構築していったわけではない、という。ある意味でそれは、生の実態を欠く調査となりうるリスクを抱えている。だがまた、都市部で出会った一部の中高生の意見に振り回されて、感情移入のようなもの、不確実な思惑というものをベースに判断するというリスクを回避していることにもなるだろう。大切なことは、そのような調査方法を、読者にきちんと示すことだ。
 さて、そのことからするとまるで皮肉なようだが、中高生の読書について、本書は実は生々しい実態を読者に披露している。実は本書の多くの部分は、中高生が読んでいる本の紹介のようなものなのだ。これにはもちろん意味がある。実際どういう内容の本が人気であるのか、それを、そうした世界を知らない大人たちに伝えなければならないからである。すると、少しばかり若者文化をワイドショーや週刊誌で知った大人たちは、「知ってるよ、ラノベが人気だってね」という返答をすることがあるだろう。だが著者は言う。そこにはデータがある。ラノベ人気は下降中なのだ。
 そもそも話題を宙ぶらりんにしてきてしまったが、中高生の読書量は減っているのか。これがデータによると、何十年か前とほぼ変わりがないのだという。いまの中高生の親世代も、自分の胸に手を当てて思い起こしてみれば、さほど読書などしていなかったのではないか。データは正直である。
 とはいえ、その「データ」なるものをどのような方法で集めたのか、定義はどうか、などと考え始めると、また比較できない情況に陥る可能性があるが、さすがにそれをとやかく扱うほどのゆとりは本書にはない。データは、長年にわたって集める場合、ちょっとした条件の変更などにより、大きく数値が変わるものなのであるが、さしあたりそれはないものとして扱っていくしかないであろうし、またそれでよいのである。たとえば、かつてとの大きな違いは、電子書籍というものの登場とそのポピュラー化である。本書ではその点については論じていない。だが、マンガやコミックスではなく、文章を読むということでは特別に差をつけずに取り扱っているものと思われ、やはりそれでよいのだろうと思う。
 依然として、若者は本が好きだ。そして高校生の読書量が少ないのも、昔と今とで特に変わりはないのである。
 著者の慧眼は、「読まれる本」とはどういうものか、型として指摘していることである。それを全部明かすと営業妨害になるかもしれないが、おおまかに言うと、思春期の「自己意識」というものに応えるものが好まれるというのがまずある。また、いわゆる「どんでん返し」も気に入られるという。それから、「子どもが大人をやりこめる」のは痛快である。その他、好まれるパターンが幾つかあるが、それはどうぞ直に手に取ってお確かめ戴きたい。
 とにかく、実例が多い。私は何もそうしたものを好んで読んでばかりいるわけではないが、幸か不幸か、出版の情況に関心があるのと、現実に小中学生を相手に仕事をしているのとで、せめて名前くらいは聞いたことがある、というのは多い。また、メディアで話題になったり、映画化されたりしたものも少なくないので、話も知っているものも幾つもあった。シリーズの一部だけでも知っている、ということもあるし、実はいまアニメで毎週それを見ている、というようなものもあった。そればかりか、私がかなり心を奪われて熱中した話が、この若者人気のものであるということを初めて知ったということもあった。
 確かに、歴史的文豪の作品とはまた違うだろう。話が単純だとか、深みがないとか、大人はすぐに軽視したがるものであろう。だが、かの文豪たちの作品も、その時代のニーズの中で登場したものであるし、売らんかなの精神で執筆していたのも当然のことである。なにしろ売れなければ、生きていけないのである。自分の賭け事や酒代のために執筆していた作品が、いまや古典名作、などということもザラなのだ。文豪が、何も高尚な名作を書くぞ、と息巻いていたとは思えない。もしかすると、いまの時代の「軽い」小説や、「メディア横断的」小説も、将来の名作として、取り扱われるようになるのかもしれないのである。
 ただ、もちろん「本」=「小説」であるわけではない。ただ、小説が人気があるのは確かなのだという。それでも、本書の最後のほうでは、いくつかのジャンル分けをして、小説に限らず、中高生の文化の中に位置しているタイプが紹介されている。小説という決めつけ型をするべきでないことを教えてくれる。
 そして最終章では「10代の読書はこれからどうなるのか」という展望を明らかにしている。読書量が落ちているわけではない、とデータは告げながらも、読書は「語彙力を高める効果がある」のは確かだとし、将来の調べ物のためのリテラシーにも影響を及ぼすことを弁えておくべきだ、と指摘している。読書推進が間違っているわけではないのだ。
 しかし、学校図書館が、大人の思い込みで、いまラノベをたくさん導入しよう、とするのは、やはり現実を知らないことになるだろう、と懸念する。大人が、これがいい、と勝手に決めることはできないのだ。また、いちばん大人が自戒しなければならないのは、大人の価値観を子どもに押しつけることなのだ、ともいう。決して「読書離れ」が起こっているわけではない、という現実を捉え、単純な善悪の問題で振り分けることがないようにしたいものである。
 では具体的にどうすればよいのか。それは著者の責任ではない。読者が考えるのでなければならない。




Takapan
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