本

『わが指のオーケストラ(全3巻)』

ホンとの本

『わが指のオーケストラ(全3巻)』
山本おさむ
秋田文庫
各\600+
2000.4-8.

 私が入手したのは、秋田文庫版である。オリジナル単行本はもっと大きな版がある。これは私にとり、手話との関わりの原点であるといえる。教会のろう者が、ぜひ読んでくれということで貸してくれたのだ。オリジナル版だった。そしてそれは衝撃的だった。当時は私も、手話やろう者について、何も知らなかったのだ。
 大阪市立聾唖学校の高橋潔校長の生涯を、本書は描く。音楽を志しつつ挫折し、家を飛び出して就いた学校が聾唖学校だった。音を愛する青年が、音のない世界と接することになる。聞こえないが故に、またそのため家で虐待されるというのが当たり前のような社会であった。それは親が虐待するというよりは、世間の冷たさに親が追い詰められていたという方が恐らく正しいと思われる。高橋は、ずいぶんな目に遭わされながらも、この子どもたちが手話の絵本に引き入れられるとき、音楽性を感じる。これはオーケストラなのだ、一種の音やその流れを、ろうの子どもたちはちゃんと感じることができる、情緒豊かな人格者たちなのだ、と。
 ろう者の置かれた立場や生活を、ラインでベタ塗りしたような画風の中で、これでもか、と読者の胸に突きつけてくる。まるで、あなたも同じことをしているではないか、と訴えてくるかのようだ。社会が障害者をどのように見て扱っていたかがしっかりと描かれる。
 物語はやがて、西川という名士が、生まれた娘が出産時の扱いでろう者となったことから、何とか社会に受け容れられるようにと、娘に対して徹底的な口話教育を施した。当時は手話は「手まね」と呼ばれ蔑まれており、ろう者は一般社会についていけない存在でしかなく、せいぜい聴者社会で生きるためには口話を習得することしかなかった。口話というのは、唇を見て、その視覚だけで、それが何を言っているのかを当てるという芸当である。テレビドラマの音を消して、内容をすべて理解せよということである。しかし西川の娘はこの訓練をわがものとし、発音もできてまさかろう者であろうとは知られないほどの成長を遂げる。このことの訴えで、世の中にくすぶっていた、口話教育への傾きを加速させることとなる。
 手話などというものを使っているから、いつまでもろう者は社会になじめずまともに生きられない。すべて口話だけで教育すべきである。このように新しい主張が、西川のみならず、わが子を社会に生かすためにはそれが必要だと希望をもつ、ろうの子の親たちを引きつけて、広まっていく。
 しかし高橋は、それをよしとしない。口話がすべてだめだとは言わないが、中途失聴など、せいぜいろうの人の3割くらいしか、それは成功しないことを突き止める。残りの7割のろう者には無理な方法を押しつけるというのはどういうことか、と反旗を翻す。後に、全くの孤軍となって、そのことを国会議員も口話教育に与する中で訴える。
 この対決が第2巻からの主題のようになっていく。高橋は、手話では社会生活ができないというのではなく、手話を社会生活をするひとつの方法だという理解が必要なのだ、と、いつ大阪城が落ちるのかと冷ややかに見られる中で、確信をもち、訴え続ける。そして大阪は、稀有な立場を孤立しながらも守り通す。
 この高橋は、学校からアメリカに同僚を派遣し、ヘレン・ケラーとの対面を果たす。そして指文字の開発を始める。これはそのまま現代も使われている指文字である。この大阪の聾唖学校が、日本語の指文字を作ったのである。
 高橋潔をとりまく幾多の人々の、切ない人生をも描きながら物語は進展し、戦争を乗り越えた高橋が、1958年に亡くなるところまでを描く。その指の骨を拾う娘にとり、父潔の生涯はこれであったと理解する。
 ろう者とは何か、手話とは何か、そして聴者はろう者をどのように考えてきたのか、ろう者はどういう目に遭っていたのか、こうしたことを、漫画は生き生きと教えてくれた。手話に関心をもつ人は、ぜひこの漫画を読んで戴きたい。人生観すら変わるのではないかと思う。
 関東大震災のとき、朝鮮人をデマから殺害し続けたことはよく知られているが、このとき、発音できないろう者も少なからず殺害されているという。調べると、この件にはある著名人も関わってくるのだが、それはここで記すのは控えることにしよう。
 但し、この漫画には、高橋潔がクリスチャンであったことについては、触れられていない。それでいて、ろう者に対して宗教教育が重要であると考えた高橋は、キリスト教を押しつけようとしたのではなく、寺における日曜学校を開き、手話による讃仏歌を生みもしている。もちろんキリスト教についてもそれをしており、讃美歌に手話を付けている。こうした姿勢には頭が下がる。
 そして現代の私たちも、ろう者との福音の分かち合いについてどうするのか、問いを投げかけているように感じる。

参考サイト : ろう教育とキリスト教について




Takapan
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