本

『和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか』

ホンとの本

『和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか』
佐野真
講談社現代新書1796
\777
2005.7

 野球を知っているか、和田という投手に関心があるか、によって本の評価は分かれて来るだろう。
 そもそもスポーツの世界は、どこか純粋であることができるものである。たとえ金や権力が渦巻く背景があろうと、スポーツそのものには、私たちは素直に感動する。一定のルールを守ることを禁欲的に強いられる中で、精一杯の技を身につけ見せてくれるのである。
 ルールを破るということは、許されない。世の中というものが、常にルールを破ることで成り立ち、また変化前進をしてきたのとは対照的である。スキーのV字ジャンプのように、従来美しくないとされときた飛型を認めさせるような変化はありうるものの、ルールを破った者が勝者として称えられることはない。私たちは、ルールは守られるべきであるという、そんな、本当は憧れている世界が実現されているスポーツであるゆえに、純粋に感動し、涙することができるのかもしれない。
 前置きが流すぎたが、この本には、何故か涙が出た。ルールの枠内で、自分の能力を高めるためにとことん突き詰めていく姿勢に、生きる原点を見るような思いがしたからだろうか。ルールを破り、出し抜いて、なんとか自分が利益を得るように、という一般社会のルールとは、違う世界だと捉えることができるからではないか。
 福岡ダイエーホークスに入団した、和田毅投手の球は、プロ選手としても決して速いものではない。大学初期には、もっと遅かったという。しかし、彼は大学では奪三振の記録を塗り替えたのであり、プロに入っても、あの遅い球が何故打てないのか、プロの打者たちを唸らせ続けてきた。
 その謎に迫ろうという、一種のドキュメンタリータッチの新書なのである。
 そこにあるのは、野球一筋に、しかし単に根性とか猛特訓とかで済まされるものではない、考え抜かれた頭脳プレイと、それを実現していくたゆまぬ努力である。
 和田クン、と私たちファンは呼ぶ。それでいいと思う。しかし、この「クン」には、その研究熱心さに対して、一目置いているような気持ちが表れているような気がしてきた。この本は、和田という投手を通じて、野球のすばらしさ、一途になることの美学のようなものすら、もたらしてくれる。
 さて、何故和田クンの球は打ちにくいのか。その秘密は、本を最後まで読んだ人が、肯いてもらえばいいことなので、ここで明かすような無粋なことは致しません。
 スポーツ選手とは何か、そこにどんなに勉強が必要か、さらにどんな考え方をする者がスポーツに向いているのか、そんなところまで、広く味わうことができる本である。野球に限らず、スポーツに関わる人が読んで、得るところが多いはずである。
 和田クンの卒業論文まで掲載されている。これもまた、興味深い。




Takapan
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